ハリー・スタイルズ独占取材 世界的ポップアイコンが怒涛の一年を語る

ハリー・スタイルズ(Photo by Amanda Fordyce for Rolling Stone)

ハリー・スタイルズの約5年ぶりとなる来日公演が、2023年3月24日(金)・25日(土)に有明アリーナで開催されることが決定。これを記念して、米ローリングストーン誌の最新カバーストーリー完全翻訳版をお届けする。世界的なポップアイコンとなった彼が、怒涛の一年、2本の新作映画、女優で映画監督のオリヴィア・ワイルドとの関係、アクティビズム、セクシュアリティ、セラピーなど、さまざまな話題について語った。

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「2022年の顔」になるまで

2022年5月20日の夜、ニューヨークでハリー・スタイルズのライブが開催された。それもただのライブではない。その日、スタイルズはのちにキャリア史上最大のヒット作となる3作目のアルバム『Harry’s House』(2022年)の全曲を初めて披露したのだ。会場となったロングアイランドのUBSアリーナには、羽飾りやキラキラのラメで着飾り、涙で頬を濡らしたファンたちが押し寄せた――スタイルズがライブで訪れる街では、もはやお決まりの光景だ。

だが、その日のファンはアンコールが普段と違うことに気づいた。いつもなら「Kiwi」をラストに持ってくるところ、スタイルズはニューシングル「As It Was」をもう一度披露してライブを締めくくったのだ。ダンサブルでありながらもエモーショナルな「As It Was」には、パンデミックがもたらした孤立と変化に対するスタイルの考えが投影されている。演奏開始と同時に、観客の熱狂は最高潮に達した。スタイルズにとって初めての経験だった。さすがの彼も、これには心を揺さぶられた。

「ステージを降りて、楽屋に入った。少しのあいだ、ひとりにしてほしかったんだ」とスタイルズは2カ月前のライブを振り返る。「ワン・ダイレクション以来、何か新しいことを経験するなんて思ってもいなかった。『熱狂がどういうものか、もうわかっているよ』と思っていたんだ。でも、あのときは何というか、自分でもわからない何かを感じた……恐怖じゃない。でも消化するのに少し時間が必要だった。得体の知れない感情だったから。あのとき感じたエネルギーは尋常じゃなかった」



28歳のスタイルズは、自らの力で新次元のスターダムの扉を開いた。イギリスのボーイズグループ、ワン・ダイレクションのメンバーだった数年前までは、満席のアリーナやスタジアムでライブを行なっていたスタイルズだが、2022年の春から夏にかけては、ひとりのアーティストとしてステージに立った。キャリア史上最大のヒットとなったシングル「As It Was」は、ストリーミング回数の記録を塗り替え、20カ国以上の音楽チャートのトップに輝いた。さらに、全米チャートでは10週連続で1位に君臨した。ファンの大半が若い女性であることを理由に、世間はスタイルズをキュートなティーンアイドル以上の存在として見ようとはしなかった(それがいかに間違っているかを証明するために彼の功績をここでわざわざ掘り起こす必要はないだろう)。スタイルズは、こうした流れが不思議と変わりつつあることを感じている。「『As It Was』は、いままでの楽曲の中でいちばん男性の反応が多い楽曲かもしれない」とスタイルズは指摘する。「変な発言に聞こえるかもしれない。だって、男性ファンを獲得することを狙っていたわけじゃないから。でも、気づいたんだ」

同年4月にスタイルズがコーチェラ・フェスティバル2022のヘッドライナーを務める直前、筆者はバックステージでコメディアン兼俳優のジェームズ・コーデン、ゲストシンガーのシャナイア・トゥエイン、ガールフレンドのオリヴィア・ワイルドに囲まれるスタイルズを直撃した。その後、ニューヨークとロンドンのウェンブリー・スタジアムのライブ(チケットは完売)にも足を運んだ。そこでは、スタイルズに注がれるとてつもない量の愛情を目の当たりにした。ライブの終わりにほぼ毎回スタイルズが述べる「1年、2年、5年、あるいは12年間」自分のことを支えてくれたファンへの感謝の言葉にもあるように、ファン歴にかかわらず、彼女たちの表情はスタイルズへの愛にあふれていたのだ。ライブの前でさえ、街のいたるところでスタイルズの楽曲を耳にした。「As It Was」は乗車したタクシーで必ずと言っていいほどかかっていたし、「Watermelon Sugar」はもはや朝食のBGMとして定着している。ロンドンのドラッグストアでは、「Golden」が静かに流れていた。「Late Night Talking」が大音量で流れるブルックリンのバーでは、男性が「認めるよ、俺はハリー・スタイルズが好きだ」と明かした。まるで、あるがままの自分を受け入れる過激な告白であるかのように。



2022年、ハリー・スタイルズは世界のいたる場所に存在していた。そしていま、筆者の目の前のアームチェアに腰掛けている。汗ばむ陽気の6月某日の午後、ドイツ北部の港町ハンブルクのホテルのスイートルームに私たちはいる。その日の朝にアイリッシュ海でひと泳ぎしたあと、スタイルズはハンブルクに到着した。この地を訪れるのは、2018年にソロアーティストとして行なった初のヨーロッパツアー以来だ。いまは、ツアーの合間のオフを満喫している。

実物のスタイルズは、アンドロジナスな魅力をたたえたスタイルアイコンというよりは、スポーティでキュートな親友の兄のようだ。ふわふわのボアやスパンコールが散りばめられたオールインワンではなく、スポーツブランドの青いトラックジャケット、ショートパンツ、グッチのスニーカーといったコーディネートに身を包む。まるでロマンス小説に登場する反抗的な貴公子のように乱れた髪は、スタイルズがオフの日に好んで使うヘアクリップですっきりと後ろにまとめられている。

スタイルズは、ミレニアル世代の若者としては一風変わっている。スイートルームの反対側にあるコンセントでスマホを充電するあいだ、着信や通知が来ていないかとチェックすることは一度もない。ゆったりとしたイギリス英語でインタビューに応じるあいだも、話し相手の目をしっかり見つめる。かつて世界中が恋した、クラスのお調子者的な陽気なオーラやワン・ダイレクションのメンバーとして活動した12年前の面影は消え、いまでは禅僧あるいはストア哲学者のように落ち着いている。それでも、その親しみやすさと魅力的な人柄は何ひとつ変わっていない。世界を股にかけてスタイルズを追いかけ回してきた(あくまで仕事として)筆者と交わしたちょっとした会話でハンブルク滞在中の筆者の予定、雑誌の締め切りの仕組みを聞いてくるなど、好奇心旺盛なところは昔のままだ(ニューヨークで行われたSpotify主催のニューアルバムのサプライズイベントでファンを驚かせたスタイルズから、デヴィッド・クロスビーのニューアルバムの感想を求められた。ちなみにスタイルズは、このアルバムがとても気に入っている)。

「ハンブルクには、大おじが住んでいるんだ」とスタイルズは話す。「彼はドイツ人の女性と結婚した。だから、僕にはドイツ人のいとこがいる。僕が子供だった頃は、しょっちゅう遊びに来ていたよ。いとこは、『レモネード』以外の英語はチンプンカンプンだった。だから、本当にレモネードを飲みたがっていたのか、『お願いだから、お水をちょうだい!』と言おうとしていたのか、わからなかった」

スタイルズほどのアーティストがヨーロッパを再訪するのにさほど時間はかからなかった。26日の夜には、地元のサッカークラブが本拠地とするフォルクスパルクシュタディオンで5万人以上の観客の前でライブを行う。Love On Tourと銘打ったこのツアーは、当初は2作目のアルバム『Fine Line』(2019年)がリリースされた数カ月後の2020年の春にはじまる予定だった。延期の理由は、説明するまでもないだろう。


PHOTOGRAPHED BY AMANDA FORDYCE FOR ROLLING STONE. VEST BY VIVIENNE WESTWOOD. JEWELRY, STYLES’ OWN.

スタイルズがふたたびステージに立てるようになったのは、2021年の秋だった。だが、その間に不思議なことが起きた。人々が家の中で時間を過ごすようになるにつれて、『Fine Line』に収録されているシングル「Watermelon Sugar」が米音楽チャートで初めてNo.1を獲得したのだ。スウィートなこの曲には、実は性的な意味合いが込められている。それから一年を待たずして、スタイルズは同曲で初めてグラミー賞を受賞した。

パンデミックの深刻化にともない、スタイルズはロサンゼルスに舞い戻った。もともとロサンゼルスには家があり、そこに3人の友人とともに引っ越したのだ。「散歩したり、夕飯を作ったり、レタスを洗ったり、そんなことをしながら時間を過ごした」とスタイルズは話す。ほどなくしてスタイルズはこの一時休止を有効に使おうと決意し、音楽づくりに着手した。音楽プロデューサーのリック・ルービンが所有するマリブのレコーディンズスタジオ「シャングリラ」が空いていたので、スタイルズは長年来のプロデューサー兼共同ソングライターのキッド・ハープーンとタイラー・ジョンソンとともに入居した。「明確な目的があったわけではない」と彼は話す。「家の中でじっとしているより、みんなでスタジオに入って音楽をつくるほうが精神的にもいいんじゃないかと思った」。こうして彼らは、知らず知らずのうちに3作目のアルバム『Harry’s House』に取り組んでいた。同作は、スタイルズのディスコグラフィー屈指のラジオ向きの楽曲を取り揃えたステイトメント的なアルバムであり、細野晴臣の1973年作『HOSONO HOUSE』からインスパイアされている。スタイルズは、数年前に日本で暮らしていたときに初めてこの作品と出会った。彼にとってこの作品は、日常生活を交差するモノローグのようなものだ。

行動規制の緩和によって飛行機での移動が可能になると、スタイルズはロンドンの自宅に戻った。その後、友人と一緒に他界した義父の車でイタリアを目指した――義父が遺してくれたジャズのCDを聴きながら。ローマのトレヴィの泉を訪れたスタイルズ――おそらく、パンデミック期間にしか拝むことができなかったヒゲを蓄えていたはず――が目の当たりにしたのは、普段であればローマ屈指の観光スポットに群がる人ごみではなく、たった4人の観光客だった。「行く先々で『変な時代だね』と話しかけると、みんな口を揃えて『ほんとうに! まったくどうかしている!』と答えた」

コロナ禍でも自分を見失わなかったのは、友人やコラボレーターといったルームメイトたちのおかげだとスタイルズは語る。「僕ひとりだったら、本当に苦しかったと思う」と、“Harry, you’re no good alone(ハリー、ひとりでいるのはよくない)”という「As It Was」の歌詞をほのめかしながら言った。イタリア旅行を終えると、友人に会いにフランスを訪れた。その後、イングランド西部のバースからほど近い場所にあるレコーディングスタジオ「リアル・ワールド・スタジオ」に落ち着いた。2021年の秋に『Fine Line』を引っ提げて待ちに待った全米ツアーに出発した頃には、『Harry’s House』は内々に完成していたのだ。

トップアーティストの宿命ともいうべきシングルのリリースや“凱旋”ワールドツアーのほかにも、そのアーティストが新次元のスターダムに到達したことを証明する指標がある。スタイルズの場合は、「Pleasing(プリージング)」というコスメブランドがそうだ。Pleasingは、スキンケア製品やネイルポリッシュ、アパレルを展開している。このほかにもグッチとのコラボレーションや俳優としての順風満帆なキャリアも忘れてはいけない。スタイルズは、サイコスリラー『ドント・ウォーリー・ダーリン』や禁断の愛を描いた『僕の巡査』といった映画で主役を演じただけでなく、『エターナルズ』のキャラクター・エロス役で出演する契約をマーベル・スタジオと結んでいる。「『Xファクター』以来、すべての人生はまるでボーナスのようだった」と、スタイルズはワン・ダイレクション結成のきっかけとなったオーディション番組に言及した。

Translated by Shoko Natori

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