LOW IQ 01の青春時代「THE BLUE HERTS解散、AIR JAM夜明け前の1995年」

LOW IQ 01

LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1994年を振り返った前回に続き、第13回は「1995年編」。イッチャンが過ごした1995年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。

ー今回は1995年です。世の中的には阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が印象的ですよね。

阪神淡路大震災が1月17日の朝だったんだけど、前日の16日に横山健と難波章浩と西片明人と俺の4人で遊んでいて。0時を越えて17日の深夜、西片の家に「アップルパイ作ってあるからみんなで食べに行こう」って言って食べに行ったんだよね。俺はまだその時、携帯とか持ってないから、家帰ってさあ寝ようかなって思った時にテレビ点けたら、高速道路でバスがギリギリ落ちそうになっているところを見て、これは大変なことが起きてるぞってなったのをすごい覚えてます。

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ーそれ以前のバンド活動も含め、関西方面にはツアーで行ってましたもんね。

バンドで最初に行ったのは1993年のアクロバットバンチで大阪のファンダンゴのライブだと思う。ダウンタウンが東京に出てきて、番組をやるようになっていて。その時に初めて大阪に行ったんだけど、「ダウンタウンの聖地にやっと行ける」ってなったのが衝撃だったから覚えてるのもあるかな。その時の対バンはキミドリとECDの石田さんだった。

ー震災当時、大阪の人とのやり取りとかはあったんですか?

その時はレスリングクライムマスターと仲良かった。結構みんな大変で、大阪行くにも何時間も歩いた話とか、すげー揺れて半端なかったって言ってたのを覚えてるな。

ー東京にいるとバンド活動が止まるとか、生活に支障が出るところまではいってなかったですよね。

自分の考え方がちょっと若かったのもあって、大阪には一度しか行ったことがなかったし、遠いことのように思っちゃってた。携帯も持ってなかったし、テレビのニュースと新聞の情報しか入ってこなかったから。

ー地下鉄サリン事件はどうですか?

当時、渋谷の東急ホテルでベッドメイクのバイトをしていて、仕事が14時ぐらいに終わったりするんだけど、家に帰ったら母方の田舎のおばあちゃんが心配して、「東京で大変なこと起きてるけど大丈夫?」って電話がきたんだよね。そこで「本当だ、すごいことが起きてる」ってなった。携帯電話ってやっぱり大きいんだよね。昔って外に出ちゃったら出っぱなしじゃない? 街頭でたまたま電気屋の前でテレビを見てニュースを知ったりとか、携帯電話がない時代って自分のところに入ってくる情報が遅いよね。

Rolling Stone Japan 編集部

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