「八神純子特集」、東日本大震災を経て誓った“第二の音楽人生”を語る

八神純子

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年7月の特集は「八神純子」。1978年にデビューして80年代前半、シティポップ、シティミュージック・ムーブメントの立役者の1人である彼女が、2022年6月24日、全米「女性ソングライターの殿堂」で日本人初の殿堂入りを果たした。パート3とパート4では2011年活動再開以降のアルバム2枚を紐解き、その歴史を辿る。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは八神純子さん「黄昏のBAY CITY」。1983年発売のシングル、アルバムは同年に出た7枚目のアルバム『FULL MOON』に入っておりました。シティポップの名曲としてアメリカでも今注目されている1曲。今月の前テーマはこの曲です。

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今月2022年7月の特集は「緊急特集 八神純子」。6月に日本人で初めてアメリカの女性ソングライターの殿堂入りを受けての特集であります。今週3週目、来週は2011年の活動再開以降のアルバムを聴いていこうという2週間です。こんばんは。

八神純子:こんばんは。

田家:先週は2001年の9.11の話で終わりました。あのときの心境は、今あらためてどうですか?

八神:アメリカに行って、忘れられない出来事があの週に2つあったんです。9月5日に親友のお家で殺人があって。親友の息子さん、お母さま、1人目の孫、3人が銃で亡くなったんです。そういうことが起きて1週間も経たないうちに9.11でしたから、私にとって人生がいつどう変わるのかと、もうこの一瞬しか確かなことってないんだなと思ってしまった。子どもたちが小さかったこともあり、守ることで必死になってしまって。家の窓を全部締め切って、ドアも必要がなければ開けない、それぐらいの気持ちになってしまいました。秋に日本でのコンサートツアーが予定されていたんですけども、キャンセルして。アーティストがそういう事情でキャンセルすると、その後のコンサートってなかなかできなくなったのでお休みに入りました。

田家:10年経って、2011年3月11日に東日本大震災が日本で起こるわけですが、純子さんは日本でのコンサートリハーサルで帰国する前日だったんですよね。

八神:再開コンサートのリハーサルをするために飛ぼうと決めた日が3.11だった。そのときは別に運命的なものは全く感じなかったんですけども、それから6~7年経った頃に振り返って、私はあの日に帰ってくることになっていたのかもしれないと思うようになった。9.11の出来事から窓を締め切ったと言いましたけれども、どんどん自分の世界が狭くなっていったのも分かっていて。それではいけないと思って扉を開けようと決めたときに起きた出来事だった。それだったら思い切り扉を開けて、私ができる限りのことをできる限りの場所でやっていこうと思いました。

田家:今週と来週は、日本で活動を再開した以降、3枚のオリジナルアルバムを聴いていこうと思うのですが、今日は『Here I am~Head to Toe~』、『There you are』、2枚の話をいろいろ伺っていこうと思います。活動再開後初めてのシングルをお聴きいただきます。2012年1月発売、「さくら証書」。

Rolling Stone Japan 編集部

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