小田和正特集、PAエンジニア・木村史郎とライブや作品の歴史を語る

別れの情景(2)~もう歌は作れない / 小田和正

田家:流れているのはオフコースの「別れの情景(2)~もう歌は作れない」。史郎さんに「自分の中の小田さんというテーマ」で選んでいただいた4曲の1曲目。随分古い歌が出ました。

木村:うん、そうですね(笑)。

田家:2枚目のアルバム『この道をゆけば / オフコース・ラウンド 2』の中の曲です。1974年。

木村:これが出たときには仕事をしてないんですけどね。

田家:木村史郎さんはもともとアーティストで、神奈川大学のフォークソング部のザ・ラニアルズというバンドのベーシストだった。

木村:先輩のバンドだったところに2人抜けて空きができて、そこにちょこっと入っちゃったんです(笑)。

田家:神奈川大学のフォークソング部というのは、浜田省吾さんがその後に入ってくるサークルでもある。

木村:ハマショーは1つ下でしたね。

田家:当時はオフコースとステージも一緒にされているんでしょ?

木村:自分がラニアルズで、ユイ音楽工房にいたときに千葉の茂原市民会館だったと思うんですけど、そこで一緒だった覚えがありますね。すっごく2人で練習していました。楽屋で。

田家:この曲は印象に残っていたんですね。

木村:小田さんの声とサビになったときのハーモニー。2人が言葉じゃなくてAhーとかUhーとか歌った時のハーモニーが広がった感じがするんですよね。それはすごいなと思って。

田家:そのときはご自分がエンジニアとして加わるとは思ってなかったんですもんね。

木村:全然なかったですね(笑)。

田家:1976年に初めてエンジニアとして参加されたお茶の水女子大、そのときはどんなコンサートだったんですか?

木村:ユイからいただいた仕事で、イルカとアルファベットでMと書くバンドでしたね。彼らは英語だけで歌っていたような記憶があります。それとオフコースだった。で、モニターとか、とにかくもううるさい人たちだと聞いていてちょっと心配だったんです。武藤さんというディレクターの方がいらっしゃって、終わった後に「よかったよ」って声をかけていただいて。本人たちもすごくやりやすかったということで、ちょっとホッとしました、うれしかったですね。

田家:それが今に繋がっている。

木村:そのとき言われたか、その後か分からないんですけど、自分らもこれからバンドで全国展開していくから一緒にやっていこうということで始まって、そこからですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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