中川五郎が語る、フォーク・ソングとの出会いからコロナ禍までを描いた自叙伝

25年目のおっぱい / 中川五郎

中川:周りを見ると1970年代に入ってフォーク・ソングが変わっていって、もちろん高石ともやさん、岡林信康さんとかの時代から乱暴な言い方をすれば吉田拓郎さんとかが出現して、井上陽水さん、かぐや姫とかフォーク・ソングがかなり違うものになって、呼び方もニューミュージックみたいになったりした。そうすると60年代のようなプロテスト・ソング、メッセージソングは時代遅れというか、「まだそんなの歌っているの?」って言われるようになって。みんながどういうことを歌うのかと言うと、ラブソングとかファミリーの歌なんです。僕もそれにはすごく共感したんですよね。自分たちの正直な暮らしを歌うことは素晴らしいし、背伸びをしたり頭でっかちにならなくても歌にできることじゃないかと思いました。でもまわりのニューミュージックを聴くと、妙に幸せだったり、あるいは妙に貧しさを美化してセンチメンタルな感じが多かったりして。そうではなくて実際の自分たちの暮らしをもっとリアルに歌いたいなと思いました。もちろんおっぱいを歌うことがリアルという短絡的なことではないんですが(笑)。

田家:そう、なんでおっぱいだったのかというのがとても重要ですよね。

中川:僕なりにプライベート、私生活、家庭、彼女との関係を歌うときの1つのキーワードとして「おっぱい」というのが1つのシンボルというか、自分の答えとして見つけたのかなという感じなんですよね。

田家:7年振りに発売されたアルバムが『25年目のおっぱい』で、その2年後に『また恋をしてしまったぼく』というアルバムが出ます。歌が作れないときと創作モードが変わったということでしょうか?

中川:そうですね。僕の中で私生活、夫婦関係、男女関係、子どもが産まれることとかが歌のテーマになったんですよ。なおかつ、1970年代に自分が20歳から30歳になり、パートナーを得て、子どもができてというプライベートの中で自分はひどい人間で、ひどいことをしていた(笑)。そういうことを正直に歌にしていた感じなんですけどね。

田家:そのときのことを本にお書きになっていまして、一緒に暮らしている女性との間にお子さんが産まれて、自分はフラフラと出歩いては飲んだくれてばかりで子育てにはほとんど協力しない、本当にひどい父親だったと思うというふうに(笑)。

中川:まさに本当にそうで、反省しなきゃいけないんですけどね。それを歌にすることで反省にはならないんですけども、でも正直に自分のひどいこととか、何をやっていたかは歌にしようと思った。それで割と歌ができてアルバムを作れたようなところがあって、反省ではないんですけどね(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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