日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年1月の特集は「西岡恭蔵」。2021年11月、小学館から書籍『プカプカ 西岡恭蔵伝』という長編伝記が発売された。その著者、ノンフィクション作家・中部博を迎え、今年ソロデビュー50周年を迎える西岡恭蔵の軌跡をたどる。パート3は、作詞家・KUROと西岡恭蔵夫妻の曲づくりの軌跡をたどっていく。田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは西岡恭蔵さん「サーカスにはピエロが」。1972年7月発売、ソロの1枚目のアルバム『ディランにて』の中に入っておりました。恭蔵さんが生前最も大切にしたという1曲です。
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西岡恭蔵と細野晴臣の関係性、ノンフィクション作家・中部博とたどるサーカスにはピエロが / 西岡恭蔵田家:今週は、KUROさんと恭蔵さん夫婦の関係についてあらためて光を当ててみたいと思うんですけど、先週最後に紹介したアルバム『Yoh-Sollo』の話が出たときに中部さんが「いい加減にしろ」って言いたくなるぐらい仲の良さがにじみ出ているアルバムだったという話がありました(笑)。
中部:この2人は、一緒に生活をして子どもに恵まれて……ということがあるんですけど、KUROさんが作詞を始めるんですよね。いろいろな人に詞を提供するようになっていくんですけど、2人で詞を作るようになっていく。それで大儲けしちゃうんです。なぜかと言うと、矢沢永吉さんの歌の詞を手がけるようになったから。34~35曲はあって、西岡恭蔵の名前なんですけど、ほとんどKUROさんと一緒に作っているんですね。ある時期はKUROさんが1人で作詞していた可能性もあるんです。それで、たぶん当時の宝くじの一等ぐらい儲かったんだと思うんですよ。前後賞がついたかは分かりませんけども(笑)。で、これをどう使うかというときに、この2人がかっこいいなと思うのは家を買うわけでもなく、車を買うわけでもなく、2人で旅行を始めちゃんうんですね。しかも、1ヶ月とか2ヶ月ぐらいの世界旅行を始めるんです。
田家:それが今週のテーマでもあります。今日の1曲目は1977年4月発売、4枚目のアルバム『南米旅行』から「南米旅行」。