ザ・ビートルズ解散は必然だったのか? 崩壊寸前のバンドを巡るストーリー

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ビートルズの終焉

翌日リンゴはアビー・ロードへ戻り、「Across the Universe」「I Me Mine」「The Long and Winding Road」のオーバーダビング用のドラムパートをレコーディングした。スペクターのスタジオでの横暴ぶりは目に余るようになり、さすがのリンゴも断固とした態度で彼に落ち着くよう諭すほどだった。

しかし、ビートルズのアルバムの仕上がりを聴いたポールの激怒ぶりに比べたら大したことはない。ジョージ・マーティン曰く「僕もとても頭に来たが、ポールの方はもっと怒っていた。2人とも、アルバムが完成するまで何も聞かされていなかったし、僕らの知らないところで勝手に進められていた。アレン・クラインがジョンを操っていたのさ」という。

クレインとアップルは、「新たな局面を迎えたビートルズのニューアルバム」として『Let It Be』を大々的に売り出した。『McCartney』のリリース日に合わせてポールが準備したQ&Aプレスキットには、「ビートルズとの決別」と書かれていた。なぜか? 「個人的なすれ違い、ビジネス上の意見の不一致、音楽性の違いなど、さまざまあるが、最も大きな理由は、自分の家族とより良い時間を過ごしたいということ。一時的か永遠かといえば、わからない」とポールは言う。ビートルズとしてまた音楽を作る予定はあるか、との問いには「ノー」という答えだった。

ポールは4月の正式発表前に、プレスリリースの存在についてローリングストーン誌へ伝えていた。「アルバムのリリースに合わせて、告知を準備している」とポールは、ヤン・ウェナーに明かした。「でも正式発表までは内容を伏せておく。説明が難しいからね。サプライズの方がずっと素敵だろ」

他の3人のメンバーは、素敵なサプライズを歓迎できる状況ではなかった。3人だけでなく、他の誰も喜ぶ人間はいなかった。世界中の1面トップに彼のプレスキットの内容が踊った時、ポールはショックを受けたと主張した。彼を含めた4人は、かつて同じようなことを主張した。しかし今回は、誰からも否定する動きがない。ジョンは記者に対して「ポールの動向が知れてよかった。彼が生きていることがわかって嬉しい。記事にはとにかく“彼は辞めたのではなく、僕が辞めさせた”と冗談半分で僕が語っていた、と書いてくれ」とコメントした。ジョージはさらにウィットを効かせて「新しいベースプレーヤーを探す必要がありそうだ」と答えた。

しかし事態は収拾しなかった。メンバーの誰も、ビートルズ抜きの人生など考えられない。また、道楽でのソロ作品など想像できなかった(ただし、バンドへの手厳しいしっぺ返しの場合は除く)。彼ら自身も、これで終わりだと思いたくもなかった。「ビートルズとして一緒にやって行くのかどうか、僕にはわからない」とジョンは言う。「復活か消滅か。今は様子を見ている。僕はおそらく復活してくれると思う」

バンド内でのコミュニケーションは、ほとんどがメディアを通じて行われるようになった。しかし公の場でお互いに怒りをぶつけ合いながらも、バンドに関してのコメントは現在進行形で話していた。ポールの記者発表から数日後、ジョンはウェナーに「この2年間、僕は、ビートルズには将来がないと思っていた」と語った。しかし同時に、自分たちはまだビートルズのメンバーだと強調した。「彼にわがままは許されない、という現実がある。だからややこしい状況になっているのさ」とジョンは言う。ジョンの見方によれば、ポールは脱退を許されない、ということになる。結局ビートルズは彼のバンドだった。「かつて彼がヘソを曲げた時にどうなったか。いろいろな計画や出演予定が狂ってしまった。いつも同じことで、今回は規模が大きかったというだけさ。それだけ僕たちが大きくなったということ。いつものことさ」


ロンドンで挙式に臨むマッカートニー夫妻(1969年撮影)。リンダの娘ヘザーと、ポールの飼い犬マーサも参列した。(Photo by Alamy Stock Photo)

常にバンドの反体制側にいたジョージですら、バンドの将来について積極的に語っている。5月初旬に出演したニューヨークでのラジオのインタビューで彼は、ジョンとポールとの緊張関係について、冷静に答えた。「少々悪意を持ってしまっているのだと思う。お互いに意地を張り合っているだけだ。子どもの喧嘩さ」とジョージは言う。しかしビジネスに関しては、クラインに反抗するポールの態度を「彼自身が解決すべき個人的な問題」と表現した。なぜか? 「多数決でクラインをパートナーと決めたからさ」とジョージは説明する。「3対1でクラインに決めた。ポールが気に入らないと言うのであれば、とても残念だ。グループとしてのビートルズと会社としてのアップルのために、ベストだと思うことを僕らは心がけている。ポール個人や彼の親類・家族のために努力しているのではない」というジョージは、企業家としては楽観的だった。「僕に言わせれば、決して良い感じではなかった」と言うが、あまり説得力がない。「アップル・フィルムズもアップル・レコーズも、会社は順調だ」

ビートルズはグループとして存在している、とジョージは強調した。同時に、ソロ活動も必要だ。「それぞれがソロアルバムを作れる環境が理想的だと思う。妥協する必要がないしね。ポールは自分のやり方で曲を作りたいと思っている。ジョージのやり方ではない。そして僕の場合は、みんなのやり方で作り上げたい、と本当に思っている。僕らがそれぞれアルバムを1枚か2枚作った時点で、既に目新しさは失われているのさ」

ジョージは、ビートルズが辿ったであろう将来像を、大まかだが現実的に描いていた。彼にとっては過去10年間と何も変わらない、“きっと上手く行く”(we-can-work-it-out)テーマだ。「大きな結果を得るために、僕らは小さなことを犠牲にせざるを得ない。一緒に作品を作れば、音楽的にも経済的にも大きな結果を得られる。もちろん、精神的にも。ビートルズの音楽というのは、とてつもなく大きな世界だ。僕らが最低限できるのは、年間3カ月を犠牲にして、アルバムを1枚か2枚出すことだ。ビートルズとしての作品を一緒に作らないのは、とても身勝手だと思う」とジョージは語った。

映画『レット・イット・ビー』は、1970年5月20日にロンドンで公開された。ビートルズのメンバーは誰もプレミアに姿を現さず、メッセージも寄せなかった。ピカデリーサーカスには、メンバーを見ようと多くの人々が集まったが、レッドカーペットを歩くVIPの福袋が配られただけだった。レッドカーペットには、シンシア・レノンとジェーン・アッシャーという元ビートルズの元妻や元彼女に、映画『ハード・デイズ・ナイト』のリチャード・レスター監督、ハリ・クリシュナのメンバー、ローリング・ストーンズのメンバーらが集った。アップルのスタッフは全員招集されたものの、自分たちの上司がいったいどこにいるのか、誰も知らなかった。ただ周囲を見回してメンバーの姿を探すだけで、イベントに参加したことに罪悪感すら覚えていた。「とても悲しく、ものすごく不愉快だった」と、広報担当のデレク・テイラーは後に書いている。「イベント後の数日間は、“プレミアへは行ったのか?”とメンバーから尋ねられるのではないかと、びくびくしていた」

しかし、誰からも連絡はなかった。4人で揃って映画を鑑賞することもなければ、アルバムを聴くこともない。4人が一堂に会することは、二度となかったのだ。

Translated by Smokva Tokyo

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