ザ・ビートルズ解散は必然だったのか? 崩壊寸前のバンドを巡るストーリー

フィル・スペクターの功罪

一触即発の状況に、冷静にメンバーを励ましてくれる人間を送り込むとすれば、ビリー・プレストン、プロデューサーのジョージ・マーティン、それからリンゴ・スターの名前が頭に浮かぶだろう。彼らは、現状にさらなる負担やエゴを持ち込まないチームプレイヤーだ。精神的に大人で、プロフェッショナルに対応でき、忍耐強く、他人に共感でき、きめ細かい気配りのできる外交家が必要だった。

ビートルズは、フィル・スペクターに賭けた。

彼は、スタジオで銃をぶっ放すような人間ではなかった。彼は、誰かを殴ったりもしない。彼は、フィル・スペクター基準の良心に従って行動していた。一方で、彼にゲット・バック・プロジェクトの記録を託すということは、全て破壊してしまう危険性とも隣り合わせだ。1970年のスタートは、前の冬の議論を再開するところから始める必要があった。メンバーにとって最後の頼りがスペクターだった。彼は60年代に、スタジオの帝王として見事な作品を作り出してきた。スペクターに任せるのは、ナポレオンを呼んで自分の村を支配させるようなものだった。ただし、立つ鳥が跡を濁さない場合に限るが。

スペクターはクラインと関係があったが、ジョンは全面的に信頼していた。スペクターは、1970年1月のシングル「Instant Karma」をプロデュースした際にわずか1日で仕上げた実績を持ち、ジョンも彼のやり方を気に入っていた。「朝食の間に書き上げた曲を、ランチタイムにレコーディングして、ディナー時には仕上がっていた」とジョンは自慢げに語った。ジョンは「Instant Karma」で、英国BBCのテレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演した。ビートルズのメンバーが単独で出演するのは初めてのことだった。ヨーコはバンドのメンバーとしてスツールに腰掛け、歌いも演奏もせずに、ただ編み物をしていた。

ジョージ・マーティンとエンジニアのグリン・ジョンズは、1969年にゲット・バック・セッションの録音テープから何とかアルバムとして仕上げようとしたものの、バンド側が拒絶したため幻に終わった。しかしクラインとしては、何か新たな商品を至急送り出す必要があった。バンドと美味しい契約を結んだばかりの彼は、早速行動を起こす。「クラインは、バンドが分裂状態にあろうが、とにかくビートルズのニューアルバムを店に並べる必要があった。ゲット・バック・セッションのテープが、彼が使える唯一の素材だったのは明らかだ」とピーター・ジャクソン監督は言う。


英国サリーにある自身所有のブルックフィールド・エステートでトラクターに乗るリンゴ・スター(1969年撮影)。物件は後に、スティーヴン・スティルスへ売却された。(Photo by Tom Blau/Camera Press/Redux)

3月に米国人プロデューサーのフィル・スペクターがアビー・ロードへやってきて、ゲット・バック・セッションのテープから多くのオーバーダブを繰り返し、アルバムとして仕上げる作業に取り掛かった。この作品は、後にアルバム『Let It Be』として世に出ることとなる。スペクターが発掘した「The Long and Winding Road」はポールによるピアノのデモ曲で、ジョンが隣でベースを弾いていた。スペクターは派手なオーケストラを重ねつつ、ジョンのつたないベースは残そうと決めた。最終的に、スペクターのアイディア通りの形でリリースされている。冒頭から2分の“You left me standing here”と歌う箇所でポールが、仲間の不器用なベースに笑いをこらえようと必死な様子がわかる。ポールが、自分の曲をスペクターがどう手を加えるかについて相談されたことはなかった。スペクターの作業が進む間、彼は数ブロック先のキャヴェンディッシュ・アヴェニューにある自宅の新しいホームスタジオで、リンダと一緒に4トラック・テープに曲を録音していた。ほとんどはカジュアルなアコースティックの小曲で、中にはアビー・ロードで録音されたバラードの名曲「Maybe I’m Amazed」も含まれる。ポールは、テープの楽曲をソロアルバムとしてすぐにリリースしようと決めた。まるで、ゲット・バックの仕上げにいつまでかかっているんだ、とでも言いたげな決断だった。

フレッシュでのびのびとしたソロレコーディングのエネルギーを満喫したポールは、明るくウィットに富んだ「Every Night」「Junk」「That Would Be Something」などの楽曲を次々と仕上げていった(マッカートニーは2020年9月、同作の50周年を記念したハーフスピード・マスタリングのリイシューをリリースしている)。彼はソロアルバムのタイトルを『McCartney』として、ビートルズの『Let It Be』と同じ週に急ぎリリースする計画を立てた。対立構造が生まれるのは明らかだった。また、リンゴのソロアルバム『Sentimental Journey』がリリースされる時期にも重なる。リンゴは、小さい頃から馴染みのある「Stardust」などのスタンダード曲を、優しく歌い上げている。彼曰く、「母親のために歌った」という。

デリケートな交渉が必要で、言うまでもなく好ましくない状況だ。3月31日、ジョンとジョージは、リンゴに意地の悪い手紙を持たせてポールの自宅へ向かわせた。封筒には「僕らから、あなたへ」と書かれ、ソロアルバムのリリースを延期するよう求めた内容だった。手紙は「このような事態になり残念だ。個人的な恨みなどではない」と締めくくられ、最後にジョージが“ハリ・クリシュナ”と加えた。ポールは激怒し、いつも仲介役だったリンゴは戻ってくると、ポールには自由にやらせようと2人を説得した。

Translated by Smokva Tokyo

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