ザ・ビートルズ解散劇の裏側 メンバー4人の証言と映画『Get Back』が伝える新発見

Photo by Ethan A. Russell/ (C) Apple Corps Ltd.


ジョンが投げ入れた「爆弾」

ゲット・バック・プロジェクトは、彼らのビートルズへの愛着を前提に企画された。彼らの腕があまりにも錆び付いていたために実現できなかったライブショーのクレイジーなアイディアや、気分が乗った時にはいつでもゼロから素晴らしい楽曲を作れるという自信が必要だったのだ。『ホワイト・アルバム』の制作には、嵐のような5カ月間を費やした。しかし50周年記念エディションで明らかになったように、深夜の狂気とカオスの中で、彼らは2枚組にも収まりきらないほどの素晴らしい曲の数々を生み出していた。

1969年3月までにメンバー全員が結婚し、3人には子どももできた。それぞれが大人としての生活を築き、合わせてバンドも成長を求められた。しかし、先頭を走ってきたビートルズには、お手本などどこにも存在しなかった。ジョージは、ボブ・ディランやエリック・クラプトンとの交流を深めた。ディランもクラプトンも、ビートルズの他のメンバーが決して持たなかったジョージに対する尊敬の念をもって接してくれた。

1968年春、ジョンとポールは、ニューヨークでアップル・コアの設立を発表した。その後テレビの『ザ・トゥナイト・ショー』に出演した彼らは、スポーツキャスターでゲスト司会者のジョー・ガラジオラとハリウッド女優のタルラー・ハンクヘッドとの、噛み合わないトークを繰り広げた(ビートルズのことを知らない司会の2人は、彼らにクリケットについて語らせようとした)。ガラジオラが「メンバーの4人は仲が良いのか?」と尋ねると、ジョンとポールはまるで宇宙人を目撃したかのような表情で司会者を見返し、「もちろん、僕らは親友同士さ」とジョンは答えた。


結婚後にジブラルタルへ向かうジョンとヨーコ。ジョンはヨーコの苗字を採ってジョン・オノ・レノンと改名しようとした。1969年の思い切った一歩の始まり。(Photo by Trinity Mirror”/Mirrorpix/Alamy)

間もなくしてジョンは、自分の人生に爆弾を投げ入れることとなる。彼はオノ・ヨーコと、アンビエント・ノイズをコラージュしたアルバム『Two Virgins』をレコーディングし、2人はハード・デイズ・ナイトの夜明けを迎えた。『ホワイト・アルバム』のセッションに、ジョンがヨーコを伴って姿を現したのを見て、他のメンバーは驚いた。以降、ジョンとのやり取りは全てヨーコを通して行われた。初日にヨーコは、「Revolution 1」のジャムセッションに参加した。ビジュアルアーティストとして知られるヨーコだが、クラシックの教育を受けた作曲家でもあり、ジョンと出会う以前にはジョン・ケージ、ラ・モンテ・ヤング、オーネット・コールマンといったレジェンドとの共演経験もある。ヨーコは相手よりも先に自分の意見を口に出すような人間で、ビートルズのメンバー同士の距離感を尊重することに興味を持たず、メンバー間の境界線にも無関心だった。「ヨーコは純真だった」とジョンはローリングストーン誌に語っている。「彼女は、他のグループに接するのと同じように、ビートルズと共演するつもりで来たのさ。」

1968年11月にリリースされたアルバム『Two Virgins』は、今なお史上最も悪名高い不快な作品となった。収録された曲(と言えるかどうかわからない作品)のせいだけでなく、ジョンとヨーコの全裸写真を使ったアルバムジャケットにも原因がある。「2人で作ったアルバムだから、僕らにとっては自然なことだと思った。もちろん、それまで自分の性器をアルバムジャケットでさらしたことはないし、写真に撮ったことすらない」とジョンはローリングストーン誌に語った。ポールは、アルバムのライナーノーツに「2人の偉大なる聖人が交わる時、屈辱的な経験となる」とコメントを寄せている。

同年10月18日、ジョンとヨーコはロンドン警視庁の麻薬捜査班から強制捜査を受けた。逮捕後間もなくヨーコは流産する。『ホワイト・アルバム』が世界的にヒットしたものの、流産にショックを受けた2人はヘロインへと走った。

Translated by Smokva Tokyo

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