アレサ・フランクリン伝記映画『リスペクト』事実検証

7.フランクリンは、ビートルズの名曲を却下おらず、それを利用したわけでもない

映画の終盤で、フランクリンとウェクスラーは次のレコーディングセッションで取り組むべき楽曲について緊迫した議論を交わす。ウェクスラーは、ビートルズが候補として新曲のデモを送ってきたことを念押しし、最初にレコーディングする機会を与える。劇中ではタイトルは伏せてあるものの、この楽曲こそがソウルフルな現代のゴスペル「レット・イット・ビー」である。フランクリンは、楽曲のカトリック的な歌詞が自身の宗教観に合わないと言って却下する。劇中で彼女は、「私はバプテストよ(訳注:キリスト教プロテスタント最大の教派のひとつ)」とウェクスラーに憤慨している。

実際、フランクリンは「レット・イット・ビー」をレコーディングしている。ウェクスラーは(いささか疑わしいものの)、この楽曲が彼女のために作曲されたものであると断言した。だが、そんな甘い言葉だけでは足りなかったのだ。「彼女は数年間保留にしていました」と、ウェクスラーは、自伝『私はリズム&ブルースを創った』(2014年 発行:みすず書房)に記す。ひょっとしたらフランクリンは、歌詞の「マザー・メアリー」が聖母マリアではなく、ポール・マッカートニーの亡くなった母へのオマージュであることを知って心を動かされたのかもしれない。いずれにせよ、フランクリンの「レット・イット・ビー」は1970年1月にリリースされたスタジオアルバム『This Girl’s in Love with You』に収録される結果となった——ビートルズ版に2カ月先行する形で。だが不思議なことに、彼女は当時未発表だったレノン/マッカートニーの楽曲ではなく、「エリナー・リグビー」というビートルズの別の楽曲のカバーをシングルとしてリリースした。



この時点でビートルズはやきもきしていた。「ポールとジョンはヒット曲ができたと確信していて、待ちくたびれてしまいました」とウェクスラーは伝記作家のデイヴィッド・リッツに語った。ビートルズが「レット・イット・ビー」をシングルとして3月にリリースすると、この曲は瞬く間に音楽チャートを駆け抜け、「レット・イット・ビー」とビートルズの名は歴史に永遠に刻まれた。ウェクスラーはフランクリンの「レット・イット・ビー」を「最高傑作」と絶賛し、リッツに「もうひとつのシグネチャーナンバーになるはずでした。ですが、彼女のあいまいな態度が仇となってしまいました」と語っている。

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8. 伝説のライブアルバム『アメイジング・グレイス』のレコーディング前、父クラレンスはフランクリンに激励の言葉をかけていない

映画は、カリフォルニア州ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプテスト教会で行われた数々の熱狂的かつ伝説的なゴスペルライブ——1972年の歴史的なライブアルバム『アメイジング・グレイス』に収録されている——を通じてフランクリンが音楽家としてのルーツをふたたび見出すところでクライマックスを迎える。『リスペクト』では、ライブ前に父と娘が分かち合う感動的なひとときを通じて天上の父と地上の父との結合が描かれる。「今日歌う歌は、全部パパが教えてくれたものよ」と、涙ながらにフランクリンは父に語る。



残念ながら、ライブ前の心温まる和解が行われることはなかった。フランクリン師が到着したのは、ライブの2日目、2枚組のレコードに収録される説教のレコーディングの直前だった。指揮者のジェームズ・クリーヴランド師によると、なんとフランクリンはライブに父親を招待することをすっかり忘れており、直前になって思い出したそうだ。それでも、フランクリン師は壇上から娘にいくつか優しい言葉をかけている。「この音楽は、彼女が6〜7歳だった頃の自宅のリビングルームに私を連れ戻してくれました」と、師は信者たちに語った。「胸がいっぱいでした。心から感動していたからです——理由は、アレサが私の娘だからというだけではありません。彼女が特別なシンガーだからです」。

From Rolling Stone US.

Translated by Shoko Natori

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