折坂悠太が語るサム・ゲンデルの影響、記名性から解き放たれた音楽のあり方

音楽以外のものにフォーカスしていく音楽

—ドキュメンタリーの『めめ』と、アルバムの『心理』には違いもあります。『めめ』で感じたことから、『心理』という録音作品を仕上げるまでのプロセスを伺えますか?

折坂:自分のフルアルバムを作るというのは、終えてみて気が付いたことでもあるんですが、感覚として違ったんだなということはあって、『めめ』のときは、(録音した)UrBANGUILDという場所の鳴り、空間全部含めて、あとで直すことが出来ない状態で録ったもので、それは本当に記録として残したいという欲求があったのかな、と。『心理』に関しても、最初はそんな思考でやっていたんですけど、やっていくうちに、スタジオで演奏しておきたいことと、自分がこうしていきたいと思う方向と二つあって、ただ、自分のやりたい方向に引っ張りすぎると、その時の記録が薄れてしまって、そこを自分がもっていきたい部分と、その場で起きた神聖なこと、手を加えない方がいいという部分の鬩ぎ合いはあったんです。ドキュメンタリーとの違いはそういう部分ですね。

あとは、結果はだいぶ違うものにはなったんですが、ピノ・パラディーノ、ブレイク・ミルズの音源を聴いたときに、この数年、自分が聴いたことがないような手応えがあって、どうしたらこういう風になるかと考えた時に、聴いていると、その場で起こっているグルーヴ感みたいなものは確かにあると思うんですけど、その中にも一緒に入ってない音、エディットされている部分というものが凄く巧みに組み合わさっていて、そこで自分が出した答えが、なるべくスタジオで演奏した時系列、タイム感は弄らずに、ただ音の抜き差しは積極的にしていくという考え方でやっていた部分があって、結果、ドキュメンタリーでもないけど、重奏のグルーヴを持ったものになったかなと思います。


Photo by Masato Yokoyama

—『めめ』にあったドキュメンタリー性を、ポピュラー・ミュージックとして成立させるという側面も『心理』にはあったと感じましたが、ポピュラー・ミュージックとしての分かりやすさと、ある種の実験性を行き来することについては、どう考えていますか?

折坂:音楽に何を求めるのかというのは、実験性のあるもの、革新性のあるものというよりは、やっぱり普遍的な歌が軸にあるというのが、自分の大きな特徴かなと思っていて。元々、自分が実験性みたいなものを軸に据えた作り方を出来ないというのは分かっているので、そこまで一般的に言われるポップさみたいなものが希薄になってしまうという心配はあまり自分でしてないかもしれないですね。割と自分が思うように、やりたいようにやっていけば、歌としての普遍性だとか、ポップさみたいなものはちゃんと担保できるかなと何となくは思っています。

あと、手応えとしては、ライブを弾き語りでずっとやってきて、会場の人の声とか、ガヤガヤしている音とか、野外でもの凄い蝉が鳴いているとか、そういう自分が意図しない音が入って来ると、自分の歌が生き生きしてきて、尚かつ、歌詞の内容でも必然性が出てくることがあって。自分の普遍的に思う感覚をより際立たせるためには、自分が意図しないものが入ってくるというのが、一つ条件というか、得られた答えみたいな部分はあるなと思っていて、普遍的なポップスと実験的なことが二つ同居するのが可能なんだじゃないか、という風に考えてきました。



—楽音以外の音に耳を向けるのは、プロデューサーとしてのブレイク・ミルズが得意とするところでもありますね。周辺にある音も際立たせる音の遠近法を、『心理』にも感じました。

折坂:ブレイク・ミルズに対する自分の共感の仕方は、彼自身も初期はフォークやルーツっぽいことをやっていて、ちゃんとそういうギターが弾ける人ですよね。なんだけど、どんどん弾いている内容より、ギターの擦れる音だったり、音楽以外の鳴ってるものにフォーカスしている感じというのが、ブレイク・ミルズだけではなくて、私の聴いている海外の音楽の潮流にはあるなと感じていて、音楽以外のものにフォーカスしていく音楽というか、その手応え、影響もあるのかな、とも思います。

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