折坂悠太が語るサム・ゲンデルの影響、記名性から解き放たれた音楽のあり方

“重奏”との出会いがもたらしたもの

—『心理』の前段階として、折坂さんと重奏の演奏を収めたドキュメンタリー作品『めめ live recording H31.04.03-04』にも、『Notes with Attachments』との共通点を感じました。『Notes with Attachments』が出る前の録音ですが、あの時、既にいま話されたような意識を持っていたのでしょうか?

折坂:そうですね。元々、そういう感覚を持ち始めていたんだろうなというのはあります。私は録音してから、ずるして編集したりとか、揃っていないのを揃えたりとか、ちょくちょくやってはいたんですけど、重奏で初めてスタジオ録音したとき、「トーチ」だったか? 一音抜いたりズラしたりすると、絶妙に合わない、違和感が出てくることがあって、その時、聴いてる瞬発力で何かをやっているんですよね、要は。譜面で考えてなくて、本当に感覚で合わせているから、その時に起こったことがそのまま焼き付いてしまう。それって、凄いことだなと思ったんです。それも『めめ』の後なのか(笑)。でも、それも重奏とやっている時に、音楽が流れている時間の、大袈裟に言うと神聖さというか、写真のようにそういう時間を焼き付ける感覚というのが凄くあって、『めめ』の時にやりたかったドキュメンタリー性というのも、そういうことがあったのかな、と思っていて、例えば、サム・ゲンデルとか、あとはピノ・パラディーノ、ブレイク・ミルズの作り方がどうだったのか、というのは、ちょくちょく情報は追ったりしつつも、まだ全然、分からない部分があるんですけど、もしかしたら、めちゃくちゃ、エディットしてたりするかもしれないけど、その時間感覚というか、タイム感、そういうものが、自分の考えていた、重奏とやった感覚とか、と結構繋がっていたのかなと思います。



—そもそも、重奏のメンバーとはどうやって出会い、一緒にやることになったのでしょうか?

折坂:重奏は、私が弾き語りをやって遠征で初めて行ったのが、京都だったんです。その時に知り合ったのが、その時はquaeru(かえる)というバンドで出ていたんですが、ギターの山内(弘太)さんで、だいたい同じ頃に、鍵盤のyatchiさんとも知り合ったりとか、ちょくちょく(京都に)行く度に皆さんとちょっとずつ知り合いになっていって、ただ、別々の場所で会っていたんですが、2019年に自分の住んでいる場所を離れて、何か創作できないかなと考えた時に、一番知り合いが多い京都でバンドをやってみようというのがまず頭に出てきて、その時にお声掛けした人達なんですけど、京都にみんな住んでいて知り合いではあるんだけど、一緒にバンドをやったりということまではなかった人達なんですけど、集まってもらって、始めたという感じです。

—では、折坂さんが繋げたんですね。

折坂:そうですね。あとは、quaeruのヴォーカルの若松さんという方が、ベースの(宮田)あずみさんを紹介してくれたり、完全に、私が全員引き合わせたというわけではなく、そういう力を借りながらではあるんですが、きっかけとしては、私が、よそ者ではあるんですが、バンドやりましょう、と声掛けて、集まってもらいました。


Photo by Masato Yokoyama

—それ以前のバンド演奏、あるいはソロでの演奏と、重奏との演奏では、どんな違いがありますか?

折坂:一緒に初めてやったときに感じたのは、音楽以外でもそうなんですけど、その場の空気に対するアンテナ、場所に対しても人に対してもそうなんですが、察知する能力がすごく皆さん、高い。空気が読めるというよりも、如何にそこに自分の中にあるものを添えられるかを考える速度が速い。皆さん、結構出入りしているUrBANGUILD(アバンギルド)というスペースが京都にあるんですけど、舞踏や即興演奏もやっている所なので、音楽を譜面上だけではない多角的な考え方みたいなものが皆さん身に付いているんじゃないかな、と思っています。そういう中でやっていると、本当に私がそこまで多くを話さなくても、曲の中にある可能性を演奏中に引き出してくれる。初めてバンドで合わせた時のことを覚えているんですが、それがすごく嬉しくて、「自分が音楽で一番美味しいと思っていた部分がこれでした」と言った覚えがあります(笑)。本当にそれが正直な気持ちで、それぐらい、音を出した時に話が早かった。ただただ、自分の思い通りというだけではなくて、自分が予期せぬ部分を含めて、凄く良い相乗効果があったなと。

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