反ワクチンに人種差別、エリック・クラプトンの思想とどう向き合うべきか?

ロック最大の植民地主義者

それまでクラプトンとブルース、およびブラックカルチャーの関係は、おおむね好意的にとらえられていた。彼はイングランドのサリーで祖母の元にて育てられ、10代のころにギターでブルースのリックを練習し始めた。ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、クリームでの彼の演奏には、マディ・ウォーターズやジミー・リードなど、ブルースギターの巨匠たちを聴いて学んだ教えがにじみ出ていた。他の音楽仲間とは異なり、クラプトンは音楽の先人たちに当然の敬意を払っていた。クラプトンがカバーしたウォーターズ(またはボブ・マーリー)の曲は、彼自身だけでなくウォーターズの懐も満たした。

「あいつはいい演奏をする」とは、シカゴブルースのレジェンド、バディ・ガイの言葉。彼は60年代にクラプトンと始めて出会い、以後何度となく一緒にジャムセッションをしている。「いい演奏ができるなら、図体がでかいとか、太っちょだとか、ノッポだとかは関係ない。彼はただ弦を弾く。それもしかるべきタイミングでだ。あのイギリス人はブルースを炸裂させ、俺たちにはできなかった次元にもっていった。俺もあいつほどの人気があったらよかったのに。そしたらあくせく働かなくて済んだかもな」

クラプトンはまた、ジミ・ヘンドリックスのスキルに感嘆し、彼が亡くなると打ちひしがれていたとも言われている。だが、1969年のローリングストーン誌とのインタビューでは、当時流行りのスラングだった差別的表現でヘンドリックスについて話していた。おそらくもっとたちが悪いのは、彼が人種のステレオタイプを好んで使っていたことだろう。「あいつが初めてイングランドに来たとき、ほら、イングランドの連中はスペード(黒人を指す蔑称)に弱いだろ。魔術的なものや性的なものが大好きなんだ。みんなそういうのにイカれちまう。イングランドの連中はみんな、いまだにスペードはデカマラだと思っているんだ。ジミがやってくると、奴はそれを最大限に利用した。あいつめ。みんな虜になった。俺もさ。まったく」

ヘロインとアルコール依存症からの復活、アンティグアに開設した治療センター、1991年の息子の死など、波乱万丈の人生を歩んできたクラプトンは、メディアでは概ね同情を誘う人物として扱われてきた。ローリングストーン誌も例外ではなく、彼は1968年以降に8度も表紙を飾っている。ごく最近では2015年、「ローリングストーン誌が選ぶ歴代最高のギタリスト100選」で2位にランクインした。バーミンガムでのパウエル発言について、当時のイギリス人ライターは、「クラプトンの痛ましいほどのバカ正直さを思い出させるエピソード」と記している。

だが、あの日バーミンガムの発言を耳にした人々は、クラプトンに全く違う印象を抱いた。「ひたすらショックでした」と語るのは、アジプロ活動のライター兼パフォーマーのレッド・ソーンダズ氏。彼はコンサート直後にクラプトンの発言を報じた記事のコピーを見せられた。「この国でイーノック・パウエルがいわゆる象徴的人物であることを理解する必要があります。彼はアラバマ州のウォレス州知事と同レベルです。超保守派で、熱弁をふるう旧体制のイギリス帝国主義者です」。パウエル氏の「血の川演説」は白人ナショナリズム運動を生んだ。パウエル氏の思想をクラプトンが支持したのを受け、ソーンダズ氏はNME誌に投書した。「どうしたんだ、エリック? 君は脳損傷でも受けたに違いない……認めるんだ、君の音楽の半分が黒人音楽であることを。君こそロック最大の植民地主義者だ。君は優れたミュージシャンかもしれないが、ブルースやR&Bがなかったら今の立場はなかっただろう?」


1979年、ロンドンで行われたロック・アゲインスト・レイシズム・フェスティバルでのピート・タウンゼント。創設メンバーは5年間、ザ・クラッシュやスティール・パルスなどを従えてヨーロッパやアメリカで公演を行った。(Photo by Virginia Turbett/Redferns/Getty Images)

ソーンダズ氏の投書がきっかけとなって設立されたロック・アゲインスト・レイシズム(以下、RAR)は、クラプトンのような発言への反動として、約5年間ヨーロッパやアメリカでコンサートを行った。「実際、彼は世界を逆の方向に変えました。その点では彼も上出来でしたね」とウェイクリングも言う(イングリッシュ・ビートも一度、RARで演奏したことがある)。ソーンダズ氏の記憶では、ピート・タウンゼントが1979年の夏にRARで演奏した際、クラプトンも連れてこようかと言ったそうだ。しかし、ソーンダズ氏はクラプトンからの謝罪が先だと主張した。ソーンダズ氏には具体的な理由は明かされなかったが、結局クラプトンは一度も出演しなかった。

当時のクラプトンを知り、ともに仕事をしていた(そして、以降ほとんど顔を合わせることもなくなった)人の中には、バーミンガムでの暴言は彼の本音ではなかったと主張する人もいる。「あそこで彼が本音を吐いたと考えるのは誤解です」とオークス氏は言う。「酒のせいです。当時の彼は手に負えない状況で、自分の発言がどんな結果をもたらすか分かっていなかったんだと思います。いわゆる『酔っていようが関係ない、口から出ることはすべて本音だ』というのとは違うと思います。彼は本気ではありませんでした」。2017年のローリングストーン誌との取材で、クラプトン本人も「クスリや酒に溺れていた時の自分と向き合うしかない」と語っている。「そんな状態になっていたことは僕自身にもあまり理解できていないし、僕に『やめろ』という人間もいなかった」。後者の発言については一理あるかもしれない。ロックを牛耳る特権階級にいた彼はずっと、後先のことなど考えず、自分の好きなことを、好きな時に、やりたい放題だった。

Translated by Akiko Kato

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