反ワクチンに人種差別、エリック・クラプトンの思想とどう向き合うべきか?

「ワクチン懐疑派」であることのリスク

かつてクラプトンは政治的思考を口にしたがらなかった。1968年にローリングストーン誌の取材に応じた際には、「俺は自分が思った通りのことをやっているが、それが新聞か何かに載ると、世間は俺の言う通りにやらなきゃいけないと思い込む。それは間違ってる、俺は単なるミュージシャンなんだからな。俺の音楽を理解してくれるのは最高だが、俺の頭の中まで知ろうとしなくていい」

だが、この数カ月のうちに、クラプトンはワクチン懐疑派の旗頭になった。アンソニー・ファウチ博士(米感染症対策トップ)の言葉を借りれば、こうしたコミュニティは「問題の一端です。ウイルスを誰かに感染させる媒介となってしまうわけですから」。ロックダウンをあからさまに糾弾したことはないものの、「ライブミュージックはもう戻らないかもしれない」と発言し、ロックダウン抗議運動のアンセムとなったヴァン・モリソンの楽曲3つに参加。さらに、友人のソーシャルメディア・アカウントを通じて、アストラゼネカのワクチンを2回接種した後の「悲惨な」経験についても詳しく語っている(「ワクチンは誰でも安全だ、と言うのが宣伝文句だったのに」と本人)。

感染者数と死者数が急増しているにもかかわらず、最近クラプトンは共和党の州を回る全米ツアーに乗り出した。どの会場でもほとんどワクチン接種証明は要らない。そうした中、同世代の誰よりも「セックス、ドラッグ、ロックンロール」なライフスタイルを謳歌した60年代のアイコンに、保守派の見識者は称賛の嵐を送っている。オースティンでは、ワクチン義務化に反対するテキサス州のグレッグ・アボット州知事と、楽屋で一緒にカメラの前でポーズを取った。中絶と投票権に対する強硬姿勢で悪名高き州知事と写真に写るクラプトンを見て、一部の人々は裏切られたような気持ちだった。「クラプトンの曲を全部削除した」。アボット知事のTwitterフィードにあがった、あるコメントにはこう書かれている。「ギターは上手いけどキッド・ロックのような人間、もう彼とは関わらない」


テキサス州のグレッグ・アボット州知事(写真中央)は、最近オースティンで行われたクラプトンのコンサートにも出席。彼は中絶と投票権に圧力をかけていることで有名(Photo via Gov. Greg Abbott/Twitter)

キャリアの終盤、最後の活動になるかもしれないなか、クラプトンは持論を強く主張し、自身の評判と熱心なファン層の一部を失いかねないリスクを冒している。「彼がワクチンの副反応で苦しんだのであれば、それは災難でしたね」と語るのは、70年代にクラプトンのレーベルRSOを運営していたビル・オークス氏。「ですが、大半の人々が明らかにそうではいない。ローリングストーン誌の若い読者の多くが、このような記事で初めて彼を知ることになるのは残念です。彼は偉大な人物なのに、年老いてこんな見出しで扱われるなんて」(クラプトンは代理人を通じて、本記事に対するコメントを正式に拒否した)。

今までクラプトンにさほど関心がなかった人さえも、「彼は一体何を考えているのだろう?」と首をひねっている。仲間のミュージシャンたちもどう受け止めていいかわからないようだ。クイーンのブライアン・メイは、クラプトンのようなワクチン懐疑派を「変人」と呼んだ。長年クラプトンと組んだ音楽業界のコラボレーターや友人たちは、彼の現在の信条についてローリングストーン誌にコメントすることを控えた。とある著名なミュージシャンのマネージャーが言うように、「彼にはこの問題に触れてほしくなかった」というのが本音だろう。

もうずいぶん昔から、クラプトンの功績といえば、メインストリーム・カルチャーにブルースとレゲエを持ち込んだ重要人物であることや、神がかりなギターの演奏技術が挙げられてきた(60年代中期、ロンドンの地下鉄に「クラプトンは神だ」というスプレー缶の文字が書かれたのも頷ける)。あるいは、4歳の息子の死という痛ましい悲劇と、「Tears in Heaven」での感動的なカタルシスが頭から離れない人もいるだろう。だが、現在の騒動がきっかけで、キャリア初期の人種差別的な暴言など、クラプトンの過去の行動を再検証する動きが出てきた。彼に対する賛辞や同情が、驚愕や裏切りへと変わっていったのはなぜだろう?

何が変わったのか。それとも、何も変わっていないのか?

Translated by Akiko Kato

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