ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドが歴代最高と評される理由

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のダニエル・クレイグ Nicola Dove © 2021 DANJAQ/ MGM.

最新作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で主役を務めたダニエル・クレイグが1960年代から続く「007」シリーズに新しい命を吹き込み、私たちにもっともパワフルで生き生きとしたジェームズ・ボンド像を与えてくれた経緯を考察する。

そもそも、クレイグのボンドは金髪だった。これだけでも保守的な「007」ファンを半狂乱に陥れるには十分だった。おまけに体格の良さはプロボクサー並みで、その筋肉はジムでコツコツと鍛え上げられたというよりは、数々の任務を通じてつくられたもののようだった。ハンサムだがこぎれいな美しさとは違い、バーで喧嘩騒ぎを起こしそうな独特な表情をしていた。その青い眼には、二枚目俳優的な魅力よりも表面のすぐ下にあるあらゆるものを凍らせてしまう氷点下の冷たさが宿っていた。歴代の「00(ダブルオー)エージェント」とは異なり、そのオーラは英国の名門・イートン校というよりはロンドンのイースト・エンド寄りで、自信に満ちあふれた立ち振る舞いは、彼が弾ける直前のばねのような存在であることを強調していた。こうした違いにもかかわらず、クレイグはボンド役に求められるあらゆることをこなした。銃の扱いはお手の物だし、ジャブを放つこともできた。世界を股にかけ、マティーニを飲み干し、高速でスポーツカーを運転し、島の隠れ家を爆破するときもカッコよかった。その見事なタキシード姿を前に、私たちは彼ならたった一晩で無数の女性とベッドを共にすることもできれば、素手で人を殺すこともできるに違いないと納得した。しかるべき状況とまともな悪役さえいれば、ダニエル・クレイグは完璧にジェームズ・ボンドを演じることができる——誰もがそう思った。

それにもかかわらず、クレイグ版ボンドがスクリーンに登場した瞬間——バスルームで相手が死ぬまで強打するシーンであれ、平然と相手を射殺するシーンであれ——私たちは何かが突如として変わったことに気づく。それは単なる主演交代ではない。ゲームそのものが変わったのだ。

2006年に『007/カジノ・ロワイヤル』が公開されたときのことを思い出してほしい。『カジノ・ロワイヤル』は、1960年代初頭以降、毎年あるいは数年おきに公開される「007」シリーズを心待ちにしているファンに披露された。あなたがショーン・コネリー扮する初代ボンド、あるいは颯爽たるロジャー・ムーア、またはティモシー・ダルトン〜ピアース・ブロスナン時代のボンドを見ながら成長したかどうかはさておき、英国の作家イアン・フレミングが生んだ超人的なスパイの冒険は、常に私たちのポップカルチャーの一部だった。多かれ少なかれ、私たちはこのシリーズが何をもたらしてくれるか予想できた。違いがあるとしたら、それはヘアスタイル、衣装、さらには時代ごとに変わるトレンドくらいだ(レーザービーム、ブラックスプロイテーション映画的な要素、南部気質丸出しの保安官、宇宙のセット、女優デニス・リチャーズなど)。「007」シリーズが独特の古臭さに言及し、女の尻を追いかける合間に世界を救う男(逆かもしれない)という設定がいかに時代遅れであるかを認めた際も、ファンへのめくばせは忘れなかった。ジュディ・デンチ扮するMが『007/ゴールデンアイ』(1995)のピアース・ブロスナン版ボンドを「性差別的な女性蔑視の恐竜(中略)冷戦の残骸」と評したことからもわかるように、1995年頃の時点で「世界を股にかける諜報員」というコンセプトは2世代にわたってはやくも時代遅れになっていたのだ——それ以前にこうしたコンセプトに満ちた4作品が公開されていたのだが。私たちは、「007」は単純明快で、非現実的でありながらもタイムレスなものだという事実を受け入れてきたのだ。今後も父や祖父たちが見てきたボンドと同じものを見続けるだろうと。

Translated by Shoko Natori

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