松本隆がアイドル界・歌謡曲界に変革をもたらした70年代後半から80年代を辿る



1978年6月発売。加山雄三さんのアルバム『加山雄三通り』から「湘南ひき潮」。さっきの森山良子さんの『日付のないカレンダー』が良子さんの長い長いキャリアの中で、1人の作詞家に全曲をお願いをしたたった1枚のアルバムなのですが、加山さんにとってもこの『加山雄三通り』はそういうアルバムなんですよ。インストの曲が1曲入っているのですが、それ以外の曲は全部松本さんが詞を書いている。ディレクターが東芝の新田和長さんという、後にファンハウスの社長になる方なのですが、彼はチューリップのディレクターなんです。つまり、松本さんはあんなにたくさんの人の詞を書いていながら、一緒に仕事をしたディレクターとかプロデューサーの数は多くない。少ないと言った方がいいかもしれない。それは先週ちょっとお話をした、あっち側、こっち側というのがあって。歌謡曲の世界で作詞家・松本隆をちゃんと理解してくれた人がどれだけ少なかったという表れだと思うんですね。

岡田奈々さんをやった池田雅彦さんは後に原田真二さん、水谷豊さんも手がけたりしているわけで。この新田和長さんはチューリップのディレクターで、それから加山雄三さんのディレクター、プロデューサーでもあったんですね。加山さんは最初、松本さんのことを頑強に受けつけなかった。「俺はそんな若いやつとやらねえよ」と言っていた。なぜかと言うと、弾厚作作曲、岩谷時子作詞という名曲がたくさんあって、「日本語で歌を歌ったら?」と言ったのが岩谷さんだったので、「俺は岩谷さん以外の詞は歌わない」って言っていたのを新田さんが説得して。松本さんは加山さんのお宅に何度も通って、光進丸にも乗って、話を訊いてまとめたアルバムなんですね。つまり、ノンフィクション作家がやるような取材を通して書いたのがこの『加山雄三通り』なんです。松本さんの中でも、そういう作り方をしたアルバムは異例でしょうね。その新田さんがプロデューサーだったのが、この曲なんです。1981年2月発売。寺尾聰さんで「ルビーの指環」。

Rolling Stone Japan 編集部

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