『風街とデラシネ』松本隆の作詞家50年を名曲の詞とともに振り返る



田家:1974年11月発売になりました、太田裕美さんのデビュー曲「雨だれ」。作曲が筒美京平さんですね。松本隆、筒美京平コンビの実質的なデビュー曲です。太田裕美さんはナベプロでした。音楽・芸能学校、東京音楽学院の出身で、ピアノの弾き語りをしていた。太田裕美さんもご自分で書いているエッセイに70年代は芸能界とフォーク界の区別がわりとはっきりありましたと書かれていたりもします。彼女はピアノの弾き語りもやってましたから、アイドルでもないし、フォークでもないところにいたんですね。松本隆さんの起用を推薦したのが、「夏色のおもいで」で、この新しい作詞家はいいなと思った筒美京平さんでした。

1974年にスリー・ディグリーズのシングルがありました。『ミッドナイト・トレイン』、『にがい涙』の2作が日本盤のシングルでした。1作が細野さんと松本さんで、もう1作が筒美さんと安井かずみさんなんです。その時に筒美さんが「松本くんいいね」というふうに、その時ディレクターの白川隆三さんに言ったという話も、今回あらためて知りました。白川隆三さんが太田裕美さんのディレクターで、3人のトライアングルで太田裕美さんが作られていくわけです。デビューアルバム『まごころ』は作詞というクレジットだけではなくて、構成・松本隆。アルバム全体の構成をしている、トータルアルバムなんですね。アルバム作家としても始まりが太田裕美さんだったんだなと、思ったりもしました。でも、手がけたアルバム2枚があまり売れなくて、「次は好きなように書かせてくれ、もう口は出さないでくれ、それが嫌だったら僕を切ってくれ」というふうに白川隆三さんに言ってできたのが、3枚目のアルバム『心が風邪をひいた日』。その中に入っていた「木綿のハンカチーフ」が、大ヒットして作詞家・松本隆が世の中にも認められていく、知られていくようになるわけです。松本隆さんと太田裕美さんのコンビで言うと、「木綿のハンカチーフ」を誰もが思い出して、曲が流れるのですが、この番組は流れない(笑)。1アーティスト1曲なので、始まりの唄をお聴きいただきました。

でも、この1975年、1976年は、音楽シーンもそうだったんですけど、松本さんにとってもいろいろな転機になった。そういうこともかなり本の方には書いております。1976年の鈴木茂さんのアルバム『LAGOON』の中の曲をお聴きいただきます。

Rolling Stone Japan 編集部

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