『風街とデラシネ』松本隆の作詞家50年を名曲の詞とともに振り返る

暗い日曜日 / エイプリル・フール

作詞・松本隆というクレジットが初めてレコード盤に刻まれたのがこのアルバム。1969年に出たエイプリルフールのアルバム『エイプリルフール』の中の「暗い日曜日」。エイプリルフールはボーカル・小坂忠、ベース・細野晴臣、ギター・菊地英二、キーボード・柳田ヒロ、ドラム・松本隆(零)ですね。アルバムはこの『エイプリルフール』1枚だけで、音楽的な方向性の違いで解散しました。松本さんは細野さんから「日本語の詞を書けば? 君はいつも小説を読んだりしているし、詞を書けば?」ということで、勧められて書くようになった。それがこのアルバムです。この時の経緯も本の中には書いてあります。

でも、細野さんを音楽の道、バンドの道に引っ張り込んだのは松本さんなんですね。そんな話も後ほどお話をしていこうと思うんですけども、エイプリルフールは解散してしまって。細野さんは小坂忠さんをボーカルにして次のバンドを構想していたのですが、それが形にならなかった。で、はっぴいえんどが違う形になるのがこの後の話ですね。



田家:1971年11月に発売になりました。はっぴいえんど2枚目のアルバム『風街ろまん』から「風をあつめて」。『風街ろまん』はロック史上に残る金字塔ですね。ちょうど50年前の曲になるわけですけど、全然古くないとあらためて思ったりもしています。理由は2つだと思いますね。余計な音が入っていない、加工された音がない、1番必要なもの、本質的な音だけがあるのが、時代に流されない最大の理由でもあるんでしょう。それともう1つは言葉です。時代の流行語とか、時代をなぞったような作為的な言葉が全くない。〈防波堤ごしに緋色の帆を掲げた都市が碇泊している〉みたいな。当時、聴いた時に「これはなんだろう?」と思ったんですね。こんな歌詞は聴いたことない。でも、詞として情景が浮かんでくる。「かっこいいなあ、この歌」はという、50年前と今で全く同じような感想を持つのは驚くべきことだなと思ったりしています。

作詞家・松本隆は知っているけど、はっぴいえんどは聴いたことがない。そういう方がもう8割ぐらいになったんでしょうね。50周年でトリビュートアルバムのインタビューもやらせてもらったのですが、関係者は「松田聖子さんからですよ」という人が多くて、やっぱりそうなんだなと思ったのですが、そういう人たちが松田聖子さんから入って、はっぴいえんどまで遡る。そういう聴き方がこれから行われるのではないかということで、今回10月27日に出る2枚組の『風街とデラシネ』もそんなアルバムになればと思っております。

はっぴえんどのメンバーの話をしますね。ギター、ボーカル・大滝詠一さん、ベース、ボーカル・細野晴臣さん。ギター、ボーカル・鈴木茂さん、ドラム・松本隆さん。オリジナルアルバムが3枚で解散してしまったんですね。はっぴいえんどがどんなバンドでなぜ解散したのかも今度の本に書いてあります。松本さんは作詞家になる前にプロデューサーとして生きようとしたんですね。このへんがあまり語られていないということで、次の曲をお聴きいただきます。1973年の南佳孝さんのデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』から「勝手にしやがれ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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