挾間美帆、世界的ビッグバンドを指揮するジャズ作曲家のリーダーシップ論

DRBBへの共感とリスペクト

―挾間さんにとって、DRBBはどんな存在ですか?

挾間:愛情とか愛着ってあるじゃないですか。そういう言葉がぴったりですね。

―というと?

挾間:冷たい表現で言えば、DRBBにいるのは自分が選んだミュージシャンではないんです。そこが(自身が率いるラージ・アンサンブル)m_unitとの大きな違いです。DRBBには歴史も実績もすでに存在するし、それらは私の人生よりも遥かに長い。そこに自分がポコッと入る以上、こちらが向こうに合わせないといけないし、その中でベストな状況を作り出すことが私の指揮やディレクターとしての仕事になるんですけど、DRBBの場合はお互いに対する思いやりがあるんです。

―思いやりですか。

挾間:そう。空港で私を出迎えるときにフラッシュモブをしてくれたり、すごく思いやりのある人たちで。この人たちのためにこういうことがしたいとか、こういう音楽をしたいとか、そういうことを心から思えるんですよね。そういう愛着というのは、これまで自分のm_unitにしかなかった。でも今は、仕事として呼ばれているにもかかわらず、そういう愛情を心から抱いているし、胸を張ってこのバンドのことを愛していますって言える。そんな存在ですね。


コペンハーゲン空港にて、挾間をフラッシュモブで出迎えるDRBB

―彼らと一緒に仕事し始めてから……。

挾間:4年目ですね、2017年の東京JAZZから数えると(※)。

※挾間が編曲・演出を担当した「ジャズ100年プロジェクト」でDRBBと初共演。そこで信頼を得たことが、首席指揮者に就任するきっかけになったと挾間は語っている。

―そこから今では、自分の音楽をやるためのバンドと同じくらいの愛情を抱いていると。

挾間:DRBBは過去の音楽監督にサド・ジョーンズ(※1)がいて、ボブ・ブルックマイヤー(※2)がいて、ジム・マクニーリー(※3)がいて、パレ・ミッケルボルグ(※4)がいて、その延長線上に自分が呼ばれたんだってことを光栄に思う気持ちもありますし、自分がDRBBを(音楽的に)どこに連れていくことができるんだろうってことも考えています。私にとってはそれが自分の中の重要なテーマになっているくらい、彼らの幸せを考えていますね。

※1:60年代に結成したサド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ(通称サドメル)で知られるジャズ作編曲の巨匠。サドメルは形を変えながらヴァンガード・ジャズ・オーケストラ(ニューヨークのジャズクラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードを本拠地とするビッグバンド)として受け継がれている。
※2:サドメルの音楽監督を出発点に、ラージ・アンサンブルの作編曲家として活躍。マリア・シュナイダーの師でもある。
※3:挾間の先生。ヴァンガード・ジャズ・オーケストラの専属作曲家、DRBBの首席指揮者を経て、現在はHRビッグバンドの首席指揮者。
※4:ヨーロッパを代表するトランペット奏者。ECMに録音多数。マイルス・デイヴィス『Aura』の作曲/プロデュースが有名。


DRBBの録音を時系列順にまとめたプレイリスト(筆者の柳樂光隆が選曲)。パレ・ミッケルボルグ(1975〜1977)、サド・ジョーンズ(1977〜78)、ボブ・ブルックマイヤー(1996〜1998)、ジム・マクニーリー(1998〜2002)のあと17年の空白期間を経て、2019年から挾間が首席指揮者を務めている。

―ヨーロッパには他にも国営ラジオ局が運営しているビッグバンドやラージ・アンサンブルがいくつもあります。DRBBはそれらと比べてどうですか? 挾間さんの場合、音楽性だけでいえばメトロポール・オーケストラの方が近いと思いますが(※)。

※ジャズのビッグバンドと交響楽団を組み合わせた大編成で、ポップスとジャズの両方を演奏。近年ではジェイコブ・コリアーやスナーキー・パピーとの録音で知られる。挾間は2020年8月より常任客演指揮者に就任。

挾間:楽器編成的には自分のブレイン・サウンド(頭の中で鳴っている音)とメトロポールが近いのは事実ですね。m_unitだと演奏しているときに、ソリストのソロを聴いて感動することがあるんですよ。「この人すごいな」って完全な手前味噌モードで思うことがあるんですけど、他の場でそう感じることってあまりなかったんです。m_unit以外とやるときは、限られた時間内にそのバンドをどうやってベストな状態に持っていくかで精いっぱいなので、頼まれて他のビッグバンドを指揮するときはそういう仕事のモードになっていたと思います。でも、DRBBの時には純粋に「この人すごいな」って思える瞬間が増えてきている。それは自分が彼らの特性を知って、一緒にリハやコンサートを重ねてきたことで、そういう曲が書けるようになってきたというのも関係していると思います。

それにもともと、彼らがそういう才能を持っていなければ、そんなふうにはならないと思うんです。私自身もニューヨークで切磋琢磨してきたわけですけど、DRBBもサックス奏者は全員NYでの留学経験があるし、トロンボーンのピーター・ダルグレンは今でもジョン・エリス(ケンドリック・スコットのグループなどで知られるNYのサックス奏者)とかに呼ばれてわざわざNYに演奏に行く人です。DRBBには自分のジャズ・コンポーザーとしてのバックグラウンドに近い価値観やセンスを持っている人が多いんですよ。だから、NY独特の感覚をそのまま使えるんです。しかも、(前任のジム・マクニーリーとやってきた)これまでの経験から難しい譜面にも対応できる。彼らはしっかり練習してくるし、理解しようと努力もしてくるんですよね。そんなDRBBがあまり知られていないことに私は不満を持っているので、もっと知名度や音楽的評価を上げていきたいというのを、今の自分のタスクとして持っています。


サド・ジョーンズ時代のDRBB(1978年)

―DRBBがヨーロッパの名門であるというのは知ってましたけど、僕自身もそこまで注目していなかったのは正直なところです。

挾間:私が就任するまで、17年間も首席指揮者が空席だったのは大きいですよね。そうするとオーケストラに対するヴィジョンがなくなるので、首席指揮者がどんな曲を書こうとか、どんなアルバムを作ろうとか、そういう意志のある活動をオーケストラとしてできていなかった。その期間はメンバーだけで流されるままやってきたけど、そこにバンドとしてのヴィジョンは見えなかったわけですよね。その一方で、メトロポールやWDRには音楽監督がいて、彼らのヴィジョンに合うゲストを呼び、アルバムが出せるような状態になっていた。そこは大きな違いです。

―そもそもなぜ、17年間も首席指揮者が不在だったのでしょうか。

挾間:予算の問題もあると思うんですが、今、私がボスだと思っている楽団長が5年くらい前に就任したんです。変わり始めたのはそこからですね。その人が今のレベルまで引き上げた。彼は、現在は自分で演奏はしない人なんですけど。

―ミュージシャンというよりは、運営のプロが入ったと。

挾間:彼がコンサートを企画したりして、レベルを高めていったところで、音楽監督がいた方が明確なステイトメントが示せるってことになったみたいです。その5年間でバンドのレベルが格段に上がったという話は聞いています。

―実際、その時期の作品はヴィジョンが見えづらいんですよね。デューク・エリントンやサッチモ、サドメルといったありきたりのプログラムを取り上げる、オールドスタイルなビッグバンドという印象で。

挾間:サド・ジョーンズがいたのが70年代後半、ボブ・ブルックマイヤーがいたのが90年代後半、ジム・マクニーリーが1998年から2002年まで。そこから音楽監督がいなかった17年間は、そこまでのヘリテイジ(遺産)でここまでやってきたんだと思います。新しいものを生み出そうにもメンバーの音楽性に頼るとか、有名ミュージシャンをゲストに迎えたときにライブ録音するとか、それくらいしかやれる力がなかった。その時期は革新的な音楽をやるというより、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラの系譜を受け継ぐビッグバンドとして、きちんとやっていた印象があります。だからすごく上手いんですけどね。

―地道で堅実だったことはプラスでもあると。でも、近年DRBBがやってるピーター・イェンセンとのコラボなどではチャレンジングなこともやってるんですよね。

挾間:デンマークの音楽シーンはかなり開放的で、独特の暗さみたいなものはNYと通じる部分もあるけれど、やはり北欧独特の空間的なサウンドもありますよね。そこはパレ・ミッケルボルグに通じる部分だと思います。パレもDRBBと関係が深くて、音楽監督だった時期もあるので、彼らにとってパレは神様みたいな存在なんです。パレが持っているデンマークのお国柄ともいえる音楽と、NYの暗い感じのジャズは合致しやすい気がしますね。

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