泉谷しげる、90年代以降から「阿蘇ロック」に至るまでを振り返る



田家:1993年、1994年、1995年、1996年。泉谷さんが救済という形で旗を上げて、そこにいろいろなミュージシャンが集まりました。長崎公会堂、武道館。1996年神戸ワールド記念ホール、3箇所とも僕もいましたけど、自分のいろいろなライブの思い出の中で宝物のような3回のライブでもありました。どこかでああいうライブをまたやらないのかなとか、泉谷さんがああいう音頭をまたとらないのかなという気持ちもあったりして。それは泉谷さんの言葉を借りれば、不純だという。あの夢をもう一度みたいなものなわけで、そういうものではなかった。あれはあの時にみんなの気持ちが一致したんだよ。その思いで出来上がったんだよ。それはあの時のものだったんだ。彼はそうやって生きてきた人ですね。この特集を放送してから、泉谷さんはシンガー・ソングライターだったんですねというお便りをいただきました。あ、やってよかったなとあらためて思っています。

「阿蘇ロックフェスティバル」は本当にどうなるんだろうと思います。プロデューサー泉谷しげるさんは愛知県のあの出来事があった時に、「出演者に謝らせるというのはどういうことなんだ」と怒っておりましたけども、「俺だったらすぐ辞める」と言っていました。今、73歳ですからね。さっきお聴きいただいた「野性のバラッド」は69歳です。20分以上、ああやって飛んだり跳ねたり、お客さんをいじったりしながら、お客さんを送り出す、そういうシーンでありました。どういう形で今年の「阿蘇ロックフェスティバル」が終わるか。今後のコンサートの在り方、音楽の楽しみ方みたいなところまで波及していくのではないかと思ったりもしていて今年最大の注目イベントだと思っています。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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Rolling Stone Japan 編集部

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