遅咲きのカントリー・シンガー、スタージル・シンプソンが「変身」できる理由

2017年のフジロック・フェスティバルにも出演したスタージル・シンプソン(Photo by Rogelio Esparza for Rolling Stone)

高校卒業後、米海軍に入隊し、横須賀基地で勤務。ミュージシャンに転身後は東京でミュージックビデオを撮影するなど、日本とゆかりのあるカントリー・シンガー、スタージル・シンプソン。グラミー賞受賞歴を持つ彼が語った最新アルバム『The Ballad of Dood and Juanita』、マーティン・スコセッシ監督のウエスタン映画への出演、俳優としての次なる展開とは?

スタージル・シンプソンはキッチンカウンターに寄りかかり、動物の形をしたクラッカーを頬張っている。横では妻のサラが、夫が落馬して危うく死にかけたエピソードを披露する。シンプソンは、マーティン・スコセッシ監督の新作映画『Killers of the Flower Moon』のオクラホマで行われる撮影を前に、乗馬を再開することにした。全速力で走らせている時、彼は馬がバランスを崩すのを感じた。そのまま落ちて馬の下敷きになるか、結果はどうあれ、アーチ型の馬の首にしがみついて着地を試みるかを、一瞬のうちに判断しなければなかった。シンプソンは咄嗟に、後者を選択した。

「まるでダービー馬のように全速力で駆けている時に、馬がひっくり返ったんだ」と言いながら、デニムのシャツとジーンズに身を包んだシンプソンは、長椅子の上の靴やバックパックを押しのけて座る場所を確保した。「馬の尻が北極星を向いた時に思った。“ここで飛び降りなければ、500kgもあるこのウサちゃんに押し潰されちまう”ってね。だから俺は鞍から飛び降りて、石ころのように地面に転がったのさ」と言う。サラは当時を思い出して顔をしかめた。彼女はシンプソンが馬に乗ると聞いただけで、ナーバスになる。「あなたの両手は商売道具ですからね。反射神経がよくて助かったわ」と彼女は言う。彼女曰く、7歳を筆頭に3人いる夫婦の息子たちは皆、父親の奇跡的な直感力を受け継いでいるという。おかげで子どもたちは骨折してもおかしくないような状況でも、青あざ程度で済んでいる。

シンプソンの両手は無事だったが、落馬によって頭と肩を打ち、救急病院で治療を受けた。それでも彼は乗馬を止めなかった。彼はタルサ郊外の撮影現場で、乗馬シーンをサポートする地元牧場主たちと出会った。「ちょうど牛の出荷の繁忙期で、毎週数回は放牧作業があった。牧場主も、俺が牧場仕事が好きだとわかると、一緒に手伝わせてくれた」とシンプソンは言う。3日前に撮影から帰宅したばかりで、今もカウボーイブーツを履いたままのシンプソンは、まるで今すぐにでも馬に飛び乗りそうな勢いだ。

インタビューは、8月のある暑い日のテネシーで行われた。彼の5枚目となるコンセプトアルバム『The Ballad of Dood & Juanita』のリリースが、1週間後の8月20日に迫っていた。子どもたちの学校も始まり、山間の高地にあるシンプソンの家は珍しく静かだった。聞こえるのは外で行われている工事の音と、バーンが時々おもちゃを噛んでキーキー言わせている音ぐらいだ。バーンは黒と褐色のクーンハウンドで、その他にロスコーという名の灰色をした大型のスコティッシュ・ディアハウンドが、のんびりと長椅子のそばに寝そべっている。ロスコーにとって、一番くつろげる場所のようだ。

シンプソンの家は森に囲まれた場所にあり、道路や交差点には名前もないため、記憶力がよくなければたどり着くのが難しい。シンプソンからの指示は、ハイウェイを降りたら地元のワッフルハウスで自分の車を乗り捨てろ、というものだった。彼は黒塗りのジープで迎えに来たが、夏仕様でドアは取り外されていた。彼の家は20分ほど行った山の中にある。バーンが後部座席から身を乗り出して、長い耳を風になびかせていた。シンプソンは数年前から、100エーカーを超える広大な敷地に住んでいる。子どもたちは自由に走り回れるが、ガラガラヘビ(シンプソンはこの2日間で3匹を前庭で発見して駆除している)、コヨーテ、サソリ、ボブキャットには常に注意しなければならない。彼にとっては、生まれ育ったケンタッキーを思い起こさせる場所だ。


スタージル・シンプソン(オクラホマ州、2021年8月)(Photo by Rogelio Esparza for Rolling Stone)

Translated by Smokva Tokyo

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