「泉谷しげるデビュー50周年」本人と振り返る、ワーナーとビクター時代



田家:1988年の『IZUMIYA-SELF COVERS』から「地下室のヒーロー」。これはオリジナルが1982年のシングルで、アルバムはさっき話に出たポリドール時代の『NEWS』に入ってました。ポリドール時代のアルバムは打ち込みみたいなものも結構ありましたよね。

泉谷:そうですね。あれはちょっと流行りに乗ってたかなと、バンドでやり直してるんだけど。やっぱり、テーマ的にそんなに変わっているわけじゃない。ポリドール時代は吉田健の勧めもあって、流行りにちょいちょい乗ってしまったという。

田家:吉田健さんの存在はキャリアをたどると大きいですね。

泉谷:たしかにね。ただ、やっぱり細かいところで変に凝りすぎていることを言うと、拍数が例えば2、3ではなくて、2分の1で始まったりとか、ライブができないんですよ。だから、随分とここで「音楽すんじゃねえ! 馬鹿!」って怒りましたけどね(笑)。

田家:でも、この曲のポンタさんと吉田健さんはダイナミックですもんね。

泉谷:そうですね。ベースとドラムだけであの長さ。そういう意味では良い実験材料にはしてくれたかなという。ただ、そういうアイディアはこっちも出してますけどね。やっぱり、お互いの主張をぶつけ合って、なおかつ、ねじ伏せるぐらいな覚悟ないと、あのメンバーはやっていけませんよ。

田家:そうですよね。屈指のバンドですよね。でも、役者と音楽とアートって並べると、アートと音楽はかなり近いものがあったんじゃないですか?

泉谷:役者は出来上がったものを観るのが好きで、やっている最中は本当に心そこにないですね。その方がいいんですよ。現場で演技論を戦わせてさ、俺はこうだってな言い出したら監督がやりづらいと思うんだよねー。黙ってやってればいいんじゃない? って(笑)。自分の世界じゃないんだから、音楽で爆発させるためには役者にエネルギーを使わない(笑)。

田家:その爆発の中にアートがあったわけでしょう?

泉谷:そう、それも爆発ですよね。みんなにもよく言ってたんだけど、イメージ力だと思う。つまり、自分の中の色とか景色が演奏中に出なかったら、それはただの頼まれ仕事。

田家:『狂い咲きサンダーロード』とか『爆裂都市 BURST CITY』とか、ロックと映画が一緒になった作品に美術監督として入ったりしてますよね。

泉谷:ああいう絵を作るというか。よくよく見ているとちょっとパンクが入っているんですよね。「地下室のヒーロー」もバンドでやっているから、本当はパンクでやりたかったんだけど、村上ポンタがすごい嫌がって、パンク嫌いなんだよねあいつ(笑)。

田家:もっとオーソドックスなというか(笑)。

泉谷:中和してようやくこうなったというか。ジャズの人だから、パンクはダメみたいなんで。俺は破壊的なアートとか大好きなんで、芸術っていうのはだいたい爆発ですからね。

田家:それが『IZUMIYA-SELF COVERS』の尖っているんだけど、メジャーな感じになっているのかもしれないですね。次にこの『IZUMIYA-SELF COVERS』からお聴きいただくのが「世代」という曲であります。

Rolling Stone Japan 編集部

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