「泉谷しげるデビュー50周年」本人と振り返る、ワーナーとビクター時代

旅から帰る男達 / 泉谷しげる

田家:1979年のアルバム『都会のランナー』の中の「旅から帰る男達」を聴いていただいております。エレックの時も旅の歌はありましたけど、「旅から帰る男達」はちょっと違いますね。泉谷さん自身の旅じゃない感じがします。

泉谷:もちろんそうですよ。自分の旅はただ、ツアーをやってただけですからね。あまり旅感がないんで、仕事(笑)。60年代から70年代を乗り越えた人たちって、きらめくロックシーンを経験してきているんだけど、それが通じなくなってきて。75年あたりから、みんな腐り始めているんですよ。あの盛り上がりはどこ行ったんだとか、あの熱狂はどこ行ったんだって愚痴るようになって。あるいはそこの重圧から抜け出して、旅に出る岡林信康さんがいたり。そうやって、いろいろな意味で傷ついている。だから、いい加減帰ってこいよと(笑)。

田家:80年代がどんなふうに始まったかというのは、『なんとなくクリスタル』がベストセラ―になるという、軽薄短小の時代ですからね。

泉谷:そうかもしれないですね。そういう意味ではベストセラーは難しいんだけど、傷ついた男達をどうやって表現するかをテーマに意識的にやってますんでね。

田家:アルバムが『都会のランナー』で、エレック時代は都会というより、街でしたもんね。都会になっているのがこのへんの変わり方の1つかなと思います。

泉谷:都会はあまり乾いてないというか。都市と言うと、乾いている感じがするけど。都会ってちょっと濡れますよね。

田家:『’80のバラッド』と『都会のランナー』はプロデューサーが加藤和彦さんですし、ドラムが島村英二さん、ベースが吉田健さん、キーボードが中西康晴さん。

泉谷:素晴らしいメンバーですよね。

田家:この時期に日本にパンクが入ってきて、東京ロッカーズとか。まだアングラでしたけどね。

泉谷:おもしろかったですよ。でも、私に対する周りの期待は訳の分からない王道路線(笑)。

田家:訳の分からないっていうのがいいな(笑)。

泉谷:男らしく8ビートでどっしり歌うものをみんな求めるんですよね。「旅立て女房」みたいなのを絶対作るなみたいな(笑)。

田家:そういう王道路線の中でも、これは名曲の1つであります。1979年のアルバム『都会のランナー』の中の「褐色のセールスマン」。

Rolling Stone Japan 編集部

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