ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」がすべてを変えた夜

頭から離れない「新曲」の衝撃

開演から45分ほどの時点で、ニルヴァーナは新曲をプレイした。カートのギターイントロは若干お決まりになっていたものだが、ジョン・ボーナムによるヒップホップビートのようなデイヴのドラムが響いた瞬間、その曲はまったく異なる様相を呈した。抑制されたベースとドラムが刻むビートに、サステインの効いたギターの2音が絡むヴァースには、当日のセット中最もメロディックなヴォーカルラインを生かすスペースがしっかりと残されていた。その曲は筆者のお気に入りのバンドであり、後にカートが影響を受けたと語っているピクシーズを彷彿させたが、メロディはシンプルな4コード進行に深みをもたらしていた。爆発的なパワーを放つコーラスに達すると、筆者は歌詞の内容を知る由もなかったが(カート自身も同様だったように思う)、はっきりと耳に残った“楽しませてくれ”(entertain us)というフレーズを夢中でシンガロングし続けた。

「Smells Like Teen Spirit」のコード進行は決して革新的ではなく、無数のロックソングに使われているありきたりなものだった。同曲にはブリッジさえなかった。しかし、そのパワフルな3人組が当日初めて披露したシンプルでキャッチーなパーツの組み合わせには、単なる足し算では到底生まれ得ないマジックがあった。ドラムパターンさえもフックの一部であり、コーラスでカートが声を張り上げるたびに、その高音は筆者の脳に刻み込まれていった。ショーが終わった後も、筆者の頭の中では「Smells Like Teen Spirit」が鳴り続けていた。

【動画を見る】「Smells Like Teen Spirit」初披露時のライブ映像

後になって、筆者と友人が立ち会えなかったアリス・イン・チェインズのライブが、偶然にもOK Hotelのほぼ向かいにあるウェアハウスで撮影されていたことを知った。それはキャメロン・クロウ監督による映画『シングルス』のワンシーンであり、手首に押された黒インクのスタンプ、使い捨てカップのバランスを保ったまま曲に合わせて頭を振るオーディエンス、どこからともなく立ち上る熱気が醸し出すエッジーでインダストリアルなムードなど、90年代初頭のシアトル・シーンに対するハリウッドのイメージを物語っていた。

1992年9月に『シングルス』が公開された頃には、「シアトル・シーン」という言葉が持つ意味は大きく変わっていた。パール・ジャムのデビューアルバム『Ten』、サウンドガーデンの出世作『Badmotorfinger』、そして破格の成功を収めたニルヴァーナの『Nevermind』がそれぞれ世に出てから1年が経とうとしていた。シアトルはもはやアンダーグラウンドシーンの源泉ではなく、世界中を席巻するムーブメントの震源地となっており、J.C. Penneyのアパレルラインの広告で先の尖った髭を蓄えた体育会系の男とオタク風のパンクスが並ぶような状況となっていた。『シングルス』が製作されていた時点では中堅インディーバンドの域を出ず、同作には名前さえ出てこないニルヴァーナは、今や世界で最もビッグなバンドとされていた。あの日、OK Hotelでのセット中盤にプレイされた荒削りな「Smells Like Teen Spirit」はトップ10入りを果たし、『サタデー・ナイト・ライブ』で披露され、ウィアード・アル・ヤンコビックによるパロディ版が発表されていた。



1991年4月のあの日、OK Hotelでのライブ終わりに車に向かう途中で、筆者は心身ともに消耗しきっているのを感じていた。そこはウォーターフロントの近くで、筆者はピュージェット湾の新鮮な空気を大きく吸い込み、頭上の高速道路を走る車の音を打ち寄せる波の音に見立てようとしていた。それでも、胃のむかつきは抑えることができなかった。顔の筋肉がこわばっていて、笑顔を作ることさえ困難だった。両腕は感覚を失っており、歩くことを拒否していた体は、その場で横になることを要求していた。

すぐ近くに停めてあった車に向かう途中で、筆者はその酷い気分の原因が何なのかを悟った。19年間の人生で、筆者は数多くの音楽に触れていた。アリーナでの照明やレーザー等の派手な演出に心を奪われたこともあれば、パンクのショーでメガネを握りしめたままフロアに這いつくばったこともあった。筆者は自分が、音楽が想起させるありとあらゆる感情を知っていると信じていた。だがその思いは、ニルヴァーナによって完全にかき消されてしまった。

自宅へと車を走らせながら、頭の中で鳴り続けている曲がまだ音源化されていないという事実に、筆者は言いようのない焦燥感を覚えていた。頭の中で曲を再現し、譜面なしにギターでのコピーを試み、その魅力を口頭で友人に伝えようと努め、もう一度聴きたくて居ても立っても居られなくなる。それらはインターネットが存在しなかった時代における、ライブミュージックならではの体験だった。「Smells Like Teen Spirit」を脳内で再生しようとすればするほど、思いつきで足を運んだごく普通の3人組によるライブによって、自分のそれまでの音楽体験がすべて書き換えられてしまったように思えてならなかった。あの夜、筆者が目にしたものは、それまでに経験したあらゆるものよりも大きな意味を持っていた。決して後戻りはできないことを、筆者はすでに悟っていた。

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From Rolling Stone US.




Nabil Ayers Talk Session|BEATINK × blkswn jukebox presents

本記事を執筆したナビル・エアーズが緊急来日、特別トークイベントを開催。父ロイ・エアーズとの複雑な関係、黒人としてのアイデンティティ形成といったリアルなライフストーリーから、コラムニストとしての幅広い活動、さらには激変する音楽産業におけるレーベル運営など、アメリカの音楽文化の奥深さに様々な角度から迫るまたとないイベント。インディロックファンはもとより、ジャズファンやコンテンツビジネスに関わる方にとっても有意義なひとときとなること間違いなし。会場ではエアーズ自身が関わった作品などを含む、Beggars Group関連作品を取り揃えたミニポップアップストアも登場。

日時:2023年4月29日(土)15:00 - 16:30
1|オフライン参加:25名限定/料金2,000円
 会場:黒鳥福祉センター / blkswn welfare centre
 住所:東京都港区虎ノ門3-7-5 虎ノ門Roots21ビル 地下1階
2|オンライン参加:100名/料金1000円
 Zoomウェビナーを使用
※「英語→日本語」の逐次通訳が入ります。
※イベント終了後、オンライン・オフライン双方の参加者の皆さまに期間限定でアーカイブ動画を公開いたします。
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Translated by Masaaki Yoshida

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