決死のカブール脱出、女優兼監督が語った一部始終

瞬く間に街全体がロックダウン状態に

ずっと寝ていなかったので、コンパウンドに到着すると、どっと疲れが出た。入り口にいるタリバンの姿を見て、ショックで腹が立ってきた。荷物を運び入れて、とにかく眠りたかった。ここ一週間ずっと連絡を取り合っていた妹へ「これから寝る」とメッセージを入れると、折り返し電話がかかってきた。「空港が大変なことになっている。みんな飛行機に飛び乗ろうとしてパニックになっているわよ」と教えられた。それでも私は「たぶん偽の航空券を掴まされたのでしょう。もうすぐ収まると思うわ。きっと小さなニュースサイトの情報よ」という感じだったが、妹の答えは「いいえ、ABCニュースよ」だった。それから私は眠りについた。朝、「空港が大変よ」と母と妹から電話があった。私が寝ている間に、家族はずっと空港が陥落する様子をテレビで見ていたらしい。そして私の航空券もゴミになってしまった。

フロントへ行くと、各所にタリバンが検問所を設置したために街全体がロックダウン状態だ、と教えられた。ひと晩のうちにカブールが制圧されてしまった。私は間一髪だった。また気分が悪くなってきた。

ホテルの防弾車で空港まで送ってくれないかと頼んでみたものの、「コンパウンドの外にはタリバンがいて、車は出せない。タリバンが運転手と乗客を引きずり下ろして、車を奪ってしまった。外は今、人で溢れかえっている」と告げられた。

空港は2種類あり、ひとつは民間機用の空港で、おそらく世界中に流れているニュースで見たことのある風景だと思う。もう一方は軍用飛行場で、脱出用の飛行機が発着していた。私がいたのは軍事施設側の地区で、数千人が押し寄せていた。ホテルの前には2000人の人々が歩いていたが、空港では10倍に膨れ上がっていた。同じくコンパウンドに滞在していた英国人が、「ここから出られるかすらわからない」と言っていた。そして、私の乗るはずだったフライトもキャンセルされた。すべてが崩れ落ちていく。銃声も聞こえた。人々を蹴散らすために、タリバンが空へ向けて発砲したらしい。

カリフォルニア生まれの妹が、私の移動や各種手配を手伝ってくれていた。私の米国人の友人らが、アフガニスタンで働く人々を脱出させるためのチャーター機を手配していた。泣きそうだわ(声を震わせる)。友人たちは、個人的な義務感で動いている。善意の一般市民が、バイデンや国際社会の尻拭いのため、自発的に人々を助けようとしているのよ。自分たちと一緒に働いた人々を国外へ脱出させなければ、きっと彼らは殺されるから。殺されてしまうのよ。友人たちが、私の席も確保してくれた。「きっと君も、奴らに捕まれば殺されるにちがいないからね。」

信じられないけれど、あっという間に陥落した。私は、目立たないように潜伏していることなどできない。突然私は、映画で華やかな衣装を着て自由を叫ぶ女性として、無防備な状態になってしまった。1年前からタリバンは、人々の暗殺を始めている。人権派の政治家や人権活動家やオピニオンリーダーたちが、不可解な形で暴力的に殺された。タリバンからしてみれば、私もそういうオピニオンリーダーのひとりに数えられるのよ。

Translated by Smokva Tokyo

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