煮ル果実が語る、新作ミニアルバムに込めた矛盾や葛藤への肯定

―「アイロニーナ」には、〈情報過多なオモリ〉という歌詞が出てきますよね。今作はとても情報量の多さを感じる作品ですが、そこに煮ル果実さんご自身の矛盾や葛藤はないでしょうか。

矛盾や葛藤だらけです(笑)。僕は、自分が長く苦しまないために、すべての物事について正解を設定しておきたいし、白黒つけたいと常々思っているんです。でも、実際問題すべての物事に白黒つけるなんて不可能なんですよね。矛盾やギャップ、曖昧さや、理想が叶わないことって人間だったら当然湧くことだと思うんですよ。僕はそこの弱さみたいなものを肯定したいという気持ちから、この作品を作ったというのはあったと思います。作り手ってみんな少なからず数字なり評価なり、何かしらに囚われると思うんです。自分が生み出したものの価値を図るものを欲する人が多いと思っていて。それは所謂承認欲求みたいなものなんですけど。テクノロジーが普及して、ほぼすべての人間が簡単にクリエーターになり得るし、日常で文章を打ったり何かモノを生み出している時点で、広義の意味では“全人類クリエーター”だと思っていて。だからこそ、その欲求が孕む問題には触れておかないといけないと思いました。本当は、そういうものと切り離して好きなものを生み出すのが良しとされているんですけど、それには限界があるし、そういうことをしていると音楽ってここまで発展してこなかったと思うし、いろんな人が楽しめるものにならなかったと思うんです。「アイロニーナ」は、そこの矛盾とか葛藤をかなりリアルに切り出した歌詞になったと思っています。歌詞の書き方も、今までの煮ル果実の書き方とは違っていると思っていて。この曲も、そういう意味では自分の中の殻を破った曲になったのかなって思います。ちなみに、〈情報過多なオモリ〉というのはスマートフォンのことを示しているんです。何の情報を得るにしても、評価を得るにしても、何から何までスマートフォンで解決すると思うし、そういったものに対する愛憎があるかもしれないですね。



―なるほど。それは現代に生きている人に共通した気持ちかもしれないですね。

そうですね。そこの部分を定義づけるのは無理だけど、でも定義づけたいという気持ちでずっと作品を作っていますし、いつか形にできると信じてやってます。ボカロ界隈でそういうことをやっている方もいると思うんですけど、それをポップソングとして広く聴いてもらえるっていう立場に僕が立っているからこそ、今感じているリアルな気持ちをちゃんと発信していかないといけないなっていう気持ちは、作り始めたときにありましたね。

―それは、ご自分がこれまで作ってきた音楽が評価されてきたからこそ出てきた気持ちなのでは?

ここまで自分の音楽が聴いてもらえるようになるなんて、最初の頃は微塵も思っていなかったのでうれしい誤算だったんですけど、逆にそれに対する不安もずっと付きまとっていて。まだ煮ル果実として活動を始めて3年弱なんですけど、そういうリアルな部分が膿として生まれてきた感じはずっとあったので、これはどこかで絶対出さないといけないと思ったんですよね。それを出さないと、作品を作り続けることはできないと思っていたので。それを出したら全部スッキリするかなと思ったらまだ全然できてないですけど(笑)。まあでも、だいぶスッキリした気持ちはあったし、自分の中では違う答えがでてきた気もします。

Rolling Stone Japan 編集部

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