ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」

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1位 アレサ・フランクリン「Respect」(1967年)
WRITER(S):Otis Redding



アレサ・フランクリンが1966年にColumbia RecordsからAtlanticへ移籍した際、後者の副社長だったジェリー・ウェクスラーは彼女にいくつかカバーをやることを提案し、候補曲としてサム・クックの「A Change Is Gonna Come」や、レイ・チャールズの「Drown in My Own Tears」を挙げた。彼女はそのアイデアには同意したが、他にカバーしたい曲があると申し出た。それは彼女がステージで度々披露していた「Respect」だった。フランクリンの伝記を執筆したデヴィッド・リッツによると、ウェクスラーが彼女のマネージャーのテッド・ホワイトに「しっかりアレンジするならOKだ」と伝えたところ、彼はこう返したという。「心配は無用だよ。すごく彼女らしい曲になるから」

「Respect」を作曲したオーティス・レディングは、1965年にStax/Voltから同曲を発表している。しかし、1967年のバレンタインデーにAtlanticが所有するニューヨークのスタジオでレコーディングされたフランクリンによるカヴァーは、オリジナルを完全に凌駕していた。同曲は彼女にとって初のNo.1ヒットとなり、人々は彼女を「ソウルの女王」と呼ぶようになる。

レディングが歌うオリジナルでは、威厳を守ろうとする逞しい男性像が描かれているが、フランクリンは決して媚びようとしない。同バージョンで描かれるのは、セックスにおける不公平で一方的な関係を正そうとする、女としての誇りに満ちた女性だ。そのメッセージとは要するに、「あなたが求めるなら、与えてあげてもいいわ」ということだ。「オーティスのいう『respect』にはいわゆる含意があり、尊厳という言葉が抽象的な意味を持っている」。ウェクスラーは自伝『Rhythm and the Blues: A Life in American Music』でそう述べている。「アレサの圧倒的な歌声から滲み出る情熱は、単に敬意を求める気持ちから来ているのではない。彼女のいう『respect』には性的な満足という意味もあり、それを与えてみせろと要求している。『Sock it to me(もっとちょうだい)』という言葉を、他にどう解釈しろというんだ?」

バックコーラスを務めたフランクリンの実の姉妹であるキャロリンとアーマが「Sock it to me」のフレーズを高速で連呼する部分は、アレサとキャロリンが考えついたものだ。現場でエンジニアリングを担当した故トム・ダウドは、アレサが「Respect」と歌う秀逸なブレイクの立役者はキャロリンだとしている。「あまりの迫力に、椅子から転げ落ちそうになったよ」。レディングのバージョンにはブリッジがなかったが、ウェクスラーの指揮のもと、アラバマ州マッスルショールズが誇る伝説的リズムセクションはサム&デイヴの「When Something Is Wrong With My Baby」譲りのコード進行を加え、さらにキング・カーティスがテナーサックスのソロを乗せた。

フランクリンの経験に裏打ちされたパフォーマンスからは、ほとばしる情熱が感じ取れる。彼女が当時経験していた波乱に満ちた結婚生活は、そのインスピレーションとなっていたに違いない。「自らの体験に基づいていなければ、あんなパフォーマンスはできない」。ウェクスラーはそう語り、さらにこう続けている。「アレサは絶対に虐げられた女性を演じなかった。尊厳というのは、彼女のアイデンティティの一部だったんだ」

Atlantic移籍後初のアルバムとなった『I Never Loved a Man the Way I Love You』(邦題:貴方だけを愛して)からの先行シングルとして発表された「Respect」は、ロックンロールやゴスペル、そしてブルースを触媒としたソウルミュージックの原型となり、それは今なお無数のアーティストたちに踏襲されている(マライア・キャリーはフランクリンのことを「私の師」と呼んだ)。また同曲は、当時の公民権運動や萌芽期にあったフェミニスト・ムーヴメントとも呼応した。ブラック・パンサー党を経済的に支援した彼女は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの告別式の場で歌った。1999年発表の自伝で、フランクリンは同曲についてこう述べている。「ストリートを居場所とする平凡な男性や女性、ビジネスマン、母親、消防士、教師。誰もが敬意と尊厳を求めていた」。それは今でも変わらない。



From Rolling Stone US.

Translated by Masaaki Yoshida

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