「泉谷しげる50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」本人と振り返るエレックレコードの名盤

陽が沈むころに / 泉谷しげる

田家:1972年11月発売3枚目のアルバム『地球はお祭りさわぎ』の中の「陽が沈むころに」。当時、お世話になりました。助けていただきました。

泉谷:ああ、そうですか。しかしさあ、老けてるよねえ。23でこういう達観した曲作っちゃダメだよ! 達観って諦めちゃうってことだから。そうじゃないっていう意見も当然あるのは分かってる。だけど、1番嫌いなんですよ。でも、みんなこういう心情だろうなと。それを美しくするのはジョン山崎のピアノだな。

田家:ジョン山崎、スクールバンド。

泉谷:こいつらの演奏と、ピアノでとても美しい曲になれた。だけど、やっぱり結論的なもの、諦め的なことも口にしてみないと、前に進めない時ってありますよね。

田家:自分でなかなか言えないから、こういう歌を聴くことで、自分に言い聞かせたりしてましたけどね。

泉谷:自分のダメさ加減をちゃんと口にしてみないと、虚勢張っていてもしょうがねえだろうという。虚勢張るの大好きなんだけど。

田家:この「陽が沈むころに」を聴いた頃に岡林さんを連想したんですよ。岡林さんが京都の山中にいなくなってしまって、逃げたとも見えるような引きこもり方に対して、泉谷さんが思ったことでもあるのかなとか。

泉谷:でも、岡林さんの真似はほとんどしてましたね(笑)。すごい迷惑がってましたね。

田家:泉谷さんの原点はローリング・ストーンズとフォーククルセダーズと思っていたのですが、岡林さんもそこにいるわけですよね。

泉谷:そうですね。結局彼は良いか悪いかっていうのは本人もどこまで分かっているのか分からないんだけど、歌以上のものを感じてしまって。すごいな、この人はと。

田家:共立講堂で岡林さんと共演しましたよね。それ観てましたけどね。

泉谷:スター性もあるし、本当に良い男だしさ、ぶっ壊してやろうと思った(笑)。

田家:で、71年にデビューして、1年間に3枚のアルバムを作ってたんだなって思いました(笑)。どんな日々だったんだって(笑)。

泉谷:ひどいでしょ! 記憶ないんだから、この曲、俺本当に作った? ぐらいのことが平気であるんで。中には何曲か駄作があるんだけど、記憶がないんだよね(笑)。

田家:で、そういう中で4枚目の名盤アルバム『光と影』が誕生しています。その中からお聴きいただきます。「春のからっ風」。

Rolling Stone Japan 編集部

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