「泉谷しげる50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」本人と振り返るエレックレコードの名盤

プロフィール / 泉谷しげる

田家: 1971年11月発売デビューアルバム『泉谷しげる登場』から、「プロフィール」、23歳。

泉谷:今更言っても信じないかもしれないけど、この頃の曲からほとんどアドリブなんですよ。その場でやっているんですね。忌野清志郎や古井戸があまりにも完成度が高かったんで勝てねえなっていうのがあって、ぶっ壊してやれっていう。そのぶっ壊すっていうのは、シュールレアリズムに壊すのではなく、とぼけてね。

田家:デビューアルバム『泉谷しげる登場』は71年10月の杉野講堂99円リサイタル。このライブアルバムでデビューするのは、エレックの人たちのアイデアだったんですか?

泉谷:そうですね。まあ、自分もそっちの方がよかったんですけど、99円というふざけた金額でやっているのはレコーディングだからなんですよ。お客さんはオーディエンスだけど、タダでレコーディング観ているようなものなんです。

田家:お金は別になくてもいいやみたいな。

泉谷:そうなるとあれなんで、洒落で99円にしようっていうことなんでしょうね。

田家:この自己紹介ソングの後に「告白のブルース」という曲が入ってまして、これは泉谷さんが初めて書いた曲。〈チョンガーどもよく聞けよ、女は怖いんだぞ〉っていう。

泉谷:その当時付き合っていた女性からはすっごく怒られましたね。

田家:あらためて歌詞をご覧になっていただけたらと思うのですが、〈あわれ男よどこへ行く〉という男心ね。この「告白のブルース」はいつ頃書いた曲だったんですか?

泉谷: 18歳ぐらいかなと思うんです。18ぐらいでようやくコードやカポタストというものを覚えられて。エレキはいじっていたんだけど、フォークギターって覚えるのが大変なんですね。

田家:先にエレキなんですもんね。

泉谷:ローリング・ストーンズですからね。

田家:この話はまた、3週目に出てきますけども(笑)。フォークギターの方が難しかった。

泉谷:全然難しい。エレキは便利ですからねー。柔らかいですから、弦が。適当に弾いても形になっちゃいますんで。

田家:18歳で初めて曲を書いた時には漫画家にもなりたいっていうのがあったんでしょ?

泉谷:そうですね。だけど、時代が悪かったというか、すごかったというかね。ラジオで漫画を描いている時にビートルズやストーンズは流れるわさ、ジミヘンが流れてごらんよ。

田家:なるほど。刺激が違う。

泉谷:世の中に生きたいと思うでしょうよ。

田家:こっちが世の中なんだと。

泉谷:外がおもしろかったんですね。デモもあれば討論会もあれば、演劇集団はズルズルと路面を這いつくばっているし、どんな国になってんだみたいな。漫画は大好きなんだけど、作業は地味じゃないですか。アウトドアじゃないんで(笑)。

田家:そんな話はまた後ほどお訊きしようと思います。泉谷さんと言えば、乱入という言葉がついてまわりますが、なぜそうなったのか始まりの曲です。エレック時代の2枚組ライブ『唄の市』から「戦争小唄」。

Rolling Stone Japan 編集部

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