チャーチズが語る未来志向のアルバム、「恐怖」を巡る物語、フェミニズムの精神

チャーチズ(Photo by Sebastian Mlynarski/ Kevin J Thomson)

深夜、仕事帰りに人の気配のない東京の街なかを歩いていると愕然とすることがある。「この状況は一体全体なんなんだ?」と。以前とはまったく変わってしまった景色・ムード・生活ー悪夢にも似た、かつて存在した世界を模倣して創られたパラレル・ワールドに迷い込んでしまったような、絶望的な感覚に襲われる。冷や汗をかきながら、スマートフォンを開くと、家族や友人からのメッセージが届いていて、それを命綱をたぐるように必死で読むことで、なんとか心を落ち着かせることができる。駅へとたどり着き、プラットホームで電車を待ちながら、YouTubeでどこかの誰かが可愛がっているペットの動画をぼんやり観ている頃には、この奇妙な現実の様相に自分が再び順応できていることに気づく。

スコットランド・グラスゴーのバンド、チャーチズの4枚目のアルバム『Screen Violence』はパンデミックによるロックダウンの真っ只中に制作された作品だが、かれらはこの特殊な状況がアルバムに少なからず及ぼしている影響については認めつつも、それがこの作品のメインテーマではないと断言する。「スクリーンの暴力」という示唆的なタイトルを冠した、この作品で描かれるのは、有形無形の様々な「暴力」に晒され、怯え続けながらも、どうにかして希望を掴もうと力強く立ち上がる、サヴァイヴァーとしての女性のリアルなヴォイスであり、本稿の冒頭に筆者がつらつらと書き殴ったような強迫神経症的な実存の「恐怖」を巡る物語だ。

1983年に発表されたデヴィッド・クローネンバーグのホラー映画『ヴィデオドローム』から着想を得て創られたという本作のムードやサウンドは、チャーチズのこれまでのどの作品よりもポップでありながら、限りなくダークだ。しかしながら、かれらが言うように、この作品の「暗さ」は、パンデミックという事象そのものによって生まれたものなのではなく、我々が今までどう扱っていいのかわからずに見て見ぬ振りをしていた「恐怖」に依拠するもので、コロナ・ウィルスはその輪郭をそっと撫で明らかにしただけにすぎない。

この奇妙な現実がいつしか「普通」になっていくのと同じように、私たちは「恐怖」や「暴力」にいつの間にか慣れてしまう。しかし、それは確かにそこにあるし、これまでも存在し続けてきた。『Screen Violence』は、パンデミック下の我々のリアリティと強く共鳴しながら、目を背けたくなるような真実に光を当てるのだ。

結成から10年という記念すべき年にリリースされた、バンドの転換点ともいえるこの作品について、様々な角度からメンバーのローレン・メイベリーとマーティン・ドハーティの二人に話を訊いた。 



「答え」ではなく「問いかけ」

ーメイベリーさん、ドハーティさん、本日はよろしくお願いします。今はロサンゼルスにいらっしゃるんですか?

マーティン・ドハーティ:そうです。あ、すみません……今、自分の家の庭にいるんですけど、犬が家から出てきちゃって……ちょっと待っててください(犬を捕まえて、家の中に連れていく)。

ローレン・メイベリー:ははは(笑)。

マーティン:すみません。準備できました。よろしくおねがいします。

ローレン:私も猫を飼ってるんですよ。会わせてあげたいんですけど、さっきから姿が見えなくて……どこかに隠れてるみたいです(笑)。

ーいやー、いい天気で気持ちよさそうですね……羨ましいです。

マーティン:めちゃくちゃ気持ちいいですよ。自分ん家の庭でゆったりしながらインタビューを受けられるなんて最高です(笑)。

ーははは。では、早速、アルバムのお話を伺っていきたいんですが、今回のアルバムは『Screen Violence』と名付けられていて。自分はこの作品を聴いて、タイトルにある「暴力」という概念よりも、むしろそれを生み出す要因となる「恐怖」というモチーフの描かれ方が強く印象に残ったのですが、お二人はこのアルバムと「恐怖」という感情はどのようにつながっていると思いますか?

ローレン:個人的にも「恐怖」という感情は人生の大きな部分を占めています。私は根っからの心配性で、常に何かに怯えながら生きてる感じがするんですよね。他人が自分のことをどう思うのか、逆に自分が他人のことをどう感じるのかー今という時代においては、誰もが他者のことを恐れていて、人生における様々な選択に「恐怖」が影響を与えています。「恐怖」は事実に基づいていることもあれば、あるいはまったくの思い込みだったりもする……。あなたがこの作品に「恐怖」というテーマを見出してくれたことが、とても嬉しいです。その不確かな「恐怖」を浮き彫りにし、閉塞感に充ちた世界観を立ち上げることこそ、このアルバムで私達が描きたかったことなので。

マーティン:ローレンが歌詞を書き始めて、『Screen Violence』の世界観に関するアイディアやコンセプトが徐々にまとまってくると、自然と音楽的な方向性も定まっていきました。彼女が提案してくれたテーマは、僕がサウンドで現したかったことと同じだったんです。「悪夢」とか「暴力の歓び」とか。この作品の暗い部分ーつまり「恐怖」はローレンが自分自身の経験を反映させて、長い時間をかけて紡いできた物語なんです。



ーなるほど。この作品の興味深い部分って、その「恐怖」や「暴力」に対して明確な「救済」や「答え」が示されていないところにあると思うんです。例えば「Final Girl」という曲で、楽曲の語り手である女性は“So I need to get out now while most of me is still intact(だから今すぐ逃げ出さなきゃ。まだ、ほとんど無傷なうちに)”と、ひどい状況から必死で抜け出そうとしてますけど、結局のところ、彼女がどうなったのか、結末は描かれていないですよね。状況をただ描いている。そういう部分にシビアなリアリティをすごく感じるんですけど。

ローレン:あなたの言うとおりだと思います。この作品を作る上で、自分がチャーチズというバンドを通して経験してきたことを、客観的にみられるようになったことが大きく影響していて。自分にとって「バンドをやる」ということはその歓びと同じくらい「恐怖」が伴うものだったんです。自分自身の健康や身の安全がきちんと守られるのかという心配や、あるいは仕事や創作で間違った決断をするのでは無いかという恐れが常にありました。「何か大切なものを失ってしまうかも」という恐怖は常につきまとってきます。恐れずに生きることは難しいーそういうリアリティを描きたかったんです。

音楽やアートの素晴らしいところは、明確な「答え」というものが存在するのかどうかすらもわからないところです。リボンのかけられたプレゼントのような、綺麗に誂えられた「答え」を探そうとするのではなく、自分の中にある「何か」をとりあえず外に出してみて、観察してみることが大切なことで……。この作品に偉大な「啓示」のようなものを期待されても正直、困るんですよ。私だって「答え」が何なのかなんて、いまだに微塵もわかっちゃいないんですから(笑)。

マーティン:自分にとってこのアルバムは「問いかけ」にみちた作品だと思います。一つ目のトラックのタイトルを一つとっても「Asking for a Friend(友達に聞く)」ですし。この曲は“I don’t want to say / That I’m afraid to die(言いたくない / 「死ぬのが怖い」なんて)”という歌詞から始まります。つまり、「恐怖」という感情は、最終的に「死への怖れ」というものに集約されると思うんです。「不安」とか「痛み」とか、ありとあらゆる人間の複雑な感情は「生と死」にまつわるものです。この直接的な「恐怖」への言及から『Screen Violence』は始まって、アルバム全体を通して「恐怖」や「暴力」とは何かを最後まで問い続けるわけです。

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