上原ひろみの葛藤 困難な時代にミュージシャンとして追い求めた「希望の兆し」

コロナ禍に向き合った「音楽と雇用」

―アルバムの表題曲「シルヴァー・ライニング・スイート」は4部構成の組曲になっています。“希望の兆し”を意味するタイトルをつけた理由は?

上原:組曲は第1楽章の孤立(「アイソレーション」)から始まって、第2楽章では未知のもの(「ジ・アンノウン」)と闘い、第3楽章ではどっちつかずの状況で彷徨い(「ドリフターズ」)、最後の第4楽章で不屈の精神(「フォーティチュード」)に向かっていく構成になっています。

昨年3月、カリフォルニアで緊急事態宣言が出て、サンフランシスコでの公演がキャンセルになり、その先のアメリカやカナダのツアーも全部なくなって。それから仲間が廃業したり、クラブが潰れたり、従業員が解雇されたり……ずっと暗いニュースの連続で。自分もライブはできないので、何かできることといえば練習することと、曲を書くことでした。ライブを奪われると発散する場所を奪われてしまうので、曲を書くことで発散するというか。気持ちを回収するために曲をどんどん書いていきました。悶々としている中では曲を書くことが“希望”でしたから。

―僕も「SAVE LIVE MUSIC」の第1弾を観ましたが、あのときもMCで作曲への意欲について語ってましたよね。とにかく曲を書いていると。

上原:曲を書いて、それをライブを演奏するってことですね。私に何ができるんだろうっていうのはずっと考えていました。自分一人で音楽業界を救えるわけはないけど、各々がそういう気持ちで活動していれば何か変えられるかもしれないって。

私は音楽が好きで、ピアノが好きで、曲を書くのが好きで、それらをライブでシェアするのが好き。それでご飯が食べられるのはありがたいと思うし、(仕事として)お金をいただく以上は責任を持ちたいという意識はありましたけど、こういうことはコロナ禍になるまであまり考えたことがありませんでした。

ブルーノート東京はずっと出演してきたクラブだし、仲間も大勢働いている。(2020年は)あそこでずっとライブをやらせてもらいましたが、それはライブ業界を救うのが目的でもあるし、単純に雇用を生むことを考えていたんです。ブルーノートのみんなも仕事をしたいと昨年3月~5月くらいに話していて。自分がライブをしたらクラブも稼働できるし、音響さんや照明さんの仕事を作ることができる。

特に気がかりだったのは、ピアノの調律師のこと。ピアニストのライブがなかったら、調律師も仕事がなくなってしまうので。去年、東京JAZZがオンライン開催になって自宅で撮影するとになったとき、家のピアノの調律をお願いしたんです。だいたい自宅のピアノの調律って1、2時間くらいで終わるのですが、彼は6時間もかけてくれて。「久しぶりに仕事ができて嬉しかった」と言われたんですよね。その言葉を聞いたときに辛くなって。雇用を生まないといけないって思いました。「ライブができなくてかわいそう」「キャンセルになって辛い」とファンの方たちは言ってくれますが、その裏にはたくさんの人々がいる。そういう人たちのためにも、自分は音楽を作り続けていこうという気持ちが強かった。ただ好きとか楽しいとかじゃなくて、生きていくために、食べるためにどうするのか。そういうことをずっと考えてきた1年半でした。

―悩ましい話ですね。

上原:そもそもこの状況下でライブをやるのは正しいことなのかって議論もずっとありますよね。こんな時にライブをするなんて、そもそも音楽は必要なのか、不要不急問題みたいな話だったり。でも、生きるために音楽をやっていて、ライブがなくなると食べれなくなる人も大勢いる。だから生きるために必要なんだって。そう断言できるところまで(自分のなかで)模索しているような感じでした。


Photo by Mitsuru Nishimura

―上原さんはいつも楽しそうに演奏している印象ですが、第1弾のときはどこか不安そうで、MCもフワフワしてて、いつもと違うように感じられました。

上原:MCはいつも大したこと言わないですけど(笑)、肩に力が入っていたかもしれないですね。なんかずっと入りっぱなしな気もします。あのときはお客さんもすごく緊張していたし、自分を守れるかどうかもわからなかったので。当時は外に出たら息しちゃいけないのかなってくらい怖さがあって、私自身も人と会わないように気をつけていましたし。ブルーノートのレイアウトに関しても、いろいろ距離を測るところからはじめて、なるべく不安を感じさせないようなレイアウトを考えました。

―「SAVE LIVE MUSIC」の裏にはそんな不安や葛藤があったんですね。それでも上原さんはミュージシャンとして、いろんなものを背負ったうえで演奏することにした。

上原:私自身のなかでも「いや、音楽は必要です」と言えるようになるまで、気持ちの移り変わりはありました。実際にライブをやりながら、お客さんが喜んでいたり、仕事をしている人たちが報われているのを肌身で感じつつ、それが安全な形で行われていると思えるようになるまでは時間がかかりましたね。そういう意味で、自分にもそういう(不安な)気持ちが出ていたのかもしれないです。

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