マネスキンが世界を席巻する理由とは? ロックンロールの救世主が語る野望と信念

結成までのストーリー

マネスキンの誕生物語は、彼らのスタイルやサウンド同様にクラシックな趣に溢れている。メンバーは10代の頃にローマで知り合った。ヴィクトリアはヴォーカルのダミアーノ・デイヴィッド、ギタリストのトーマス・ラッジと一緒の高校に通っていた。この3人には絶対に叶えたい音楽の夢があり、子どもの頃からあらゆるスタイルのロックを聞いていた。ダミアーノの音楽テイストは、グループのフロントマンとしての強度やエネルギッシュなステージパフォーマンスによく現れている。彼のお気に入りはエアロスミス、R.E.M.、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、サウンドガーデンだ。トーマスのテイストはヘヴィメタルやハードロック寄りで、レッド・ツェッペリンがお気に入り。一方、ヴィクトリアのお気に入りはデヴィッド・ボウイ、デペッシュ・モードだという。



若かりし頃の彼らはあまり上手くない若いミュージシャンたちと一緒にプレイしていたが、当時の彼らにはドラマーがいなかった。そこでFacebookで見つけたのがイーサン・トルキオで、彼に“オーディション”を受けさせた。「あれは完全にフェイクだった」とダミアーノが明かす。「俺たちはクールな振りをしたかっただけ。他にドラマーもいなかったしね。彼だけだったのさ。でもラッキーなことに彼はけっこう上手だった」

最も影響を受けた人としてスチュワート・コープランド(ポリスのドラマー)を挙げるイーサンは、バンド加入をとても嬉しがった。しかし、彼らはイタリアで若手バンドとして活動することの大変さをすぐに知ることとなる。「ライブができるシーンもライブを観てくれる観客もいない」とトーマスが言う。ローマにはパブやクラブが非常に少ないため、腕を磨く機会に恵まれない上に、ギグのブッキングが困難である。たとえ会場を見つけたとしても、必死に頼み込む必要があり、金銭的見返りもほとんどない。



「演奏できる機材を持っている人がいない。だから自分たちで全部持ち込まなきゃいけなくて。誰もお金を出してくれないしね。子どもの頃から演奏する機会がないと信じ込まされているから、若いってだけで本当に大変なの」と言って、ヴィクトリアが続ける。「イタリアでは有名なロックバンドが一人もいない。過去にはいたけど、イタリア出身の若手ロックバンドは皆無よ。本当に嘆かわしい」と。

彼らは想像力を駆使してやり方を考え、ストリートに出ることにした。ローマ市内のコッリ・ポルトゥエンシ地区と有名なコルソ通りでバスキングを始めた。「歩行者の耳目を集めるには相当練習しないといけないんだよ」とダミアーノ。

Translated by Miki Nakayama

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