拘置所で自殺したエプスタイン、「イスラエルのスパイ」説が浮上

メディア王の娘、ギレーヌ・マクスウェル

最初の面会でホッフェンバーグが、エプスタインの手口を理解する上でリーズが重要人物だ、と言ったのをはっきり覚えている。リーズ氏はエプスタインにヨーロッパの名士のみならず(のちに彼の餌食となった)武器取引の関係者の面々を紹介し――その中にはトルコ生まれの実業家アドナン・カショギ氏もいた――今は亡きメディア王、ロバート・マクスウェル氏とも引き合わせていたらしい。

2002年当時、私はこの話にさほど気にも留めなかった。

というのも、エプスタインがさらりとかわしたからだ。

エプスタインはまず、マクスウェル氏とは面識がないと言った。私はそれまで聞いたこともなかったリーズ氏の名前を挙げ、彼のことを知っているかと2回尋ねた。エプスタインの答えはノーだった。2回目の時には、わざわざこうまで言った。

「ダグラス・リーズ……知り合いの父親かな……息子のほうはFerranti社と付き合いがあったと思う。あそこには、さっき聞かれたような連中が集まってくるからね。たしか名前はニコラスで……家は66番地あたりで、家族みんなで住んでいたんじゃないかな」

それでリーズ氏のことはすっかり忘れてしまった。エプスタインがマクスウェル氏を知っていたという件も、あえて深堀りしなかった。

だがあれから数年後、マクスウェル氏の娘に関するPodcastとドキュメンタリーシリーズの記事で、リーズ氏の名前が再び浮上した。マックスウェル氏の娘ギレーヌは、未成年者の売春取引疑惑でエプスタインをサポートしていたとして現在公判を控えている(本人はすべての容疑を否認している)。

最初は、私が見つけたリーズ氏の訴状だ。フロリダ州に提出された訴状の中で、彼は「自分がアメリカ企業も含め、極秘情報を扱う様々な民間企業と関与しており、中には政府関連プロジェクトや極秘民間プロジェクトが絡んだものもあった」と断言している。

ふたつめは情報源の話だ。その人物は(デリケートな話題なので本人の希望により匿名)1981年にエプスタインの誘いを受け、リーズ氏と3人でプライベートジェットに乗ってペンタゴンへ向かったという。

リーズ氏の息子ジュリアン氏でさえも、自分の父親が1980年代にエプスタインとはある種の師弟関係にあった、と語った。エプスタインが父親を知らないふりをしたことに、彼は完全にショックを受けていた。

だとしたら、エプスタインがリーズ氏について黙っていた理由は何か?

ロバート・マクスウェル氏を知らないという発言も、同じく意味がないのか?

スパイ説が本当だとしたら?

ホッフェンバーグの話では、エプスタインはロバート・マクスウェル氏の「負債」問題の解決など、同氏といくつかの案件でかかわったと話していたそうだ(マクスウェル氏は1991年、非常に不審な状況でこの世を去った。真夜中に自ら所有していたヨットLady Ghislaine号から転落したとみられるが、その後従業員の年金から数億ドルを横領していたことが判明した)。

Translated by Akiko Kato

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