清春、ライブ2021「残響」で見せた突破者の姿

この光景を観ていて、コロナ禍におけるライブについての清春の発言を思い出した。去年末も清春はカウントダウンライブを開催した。この時は緊急事態宣言下ではなかったので開催は問題なかった。けど、清春のカウントダウンライブは他のミュージシャンのそれとは違った。公演時間は6時間を越え、ライブの最後にはオーディエンスも声を出し歌った。クラスターは起きなかったが、後からクレームの声も上がったという。それを受けて清春は、“(僕の)ライブに来るならそれぞれに突破して来て。ロックのライブってそういう場所だから”的な発言でファンに切り返した。その発言に対しても批判はあるだろうが、筆者はその発言に激しく同意した。ロックとは突破の歴史だからだ。時代の停滞した空気、意味のない常識、人種間の差別……を突破してきたのがロックだ。


Photo by 今井俊彦

「残響」のライブはドラムもいなく、サウンド的にも、会場の雰囲気もロックではない。けど、そんなことはどうでもよくて、清春はロックミュージシャンが故に常に突破者のアティチュードでステージに立っている。そして、その覚悟をオーディエンスにも問うたのが、このやり取りだったと思えた。このやり取りから先、「残響」のコンセプトを大切にしながら、何かを突破しながらライブは進んでいったように思う。

MC後、6曲目の「悲歌」、7曲目の「FINAL」ではマイクを使わず素の声で歌うシーンも度々飛び出し、その度にホールに清春の素の声が響いた。あるいは8曲目の「楽園」では園田はトイピアノを弾いた。その温かい音がホールを包みながら、清春はマイクを通してウィスパーボイスで繊細に歌を紡いだ。クラッシックホールならでの音響がその繊細な音をしっかりとオーディエンスの耳元まで運び、まるでヘッドフォンで音楽を楽しんでいるかのようだった。

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