ライブ完全復活、「生の興奮」を取り戻したアメリカの音楽ファン

コメディ・ショウやカラオケも復活

この18カ月は素晴らしい新作が満載だったが、ライブ経験がないとなんだか物足りない。テイラー・スウィフトの「Betty」を聞いても、彼女がスタジアムであの転調を披露し、友達連中をぎゃふんと言わせるのを見るまでは、本当に聴いたことにはならないだろう? カーステレオで「Thot Shit」を鳴らすのも一興だが、ミーガンがライブで炸裂するのを聞くのとは違う。長い渇望の末に観客は時期が来たとばかりにワクチンを打って、盛り上がる準備を整えた。Pod(ごく限られた集団)といえばブリーダーズのアルバムのことを指し、viral load dynamics(ウイルス負荷ダイナミクス)といえばガイデッド・バイ・ヴォイシズのB面ソングかと思うような、パンデミック前夜のように。



ロックダウンの期間中ずっと、こうした渇望が収まることは決してなかった。僕は12月、つかの間の甘いひと時を味わった。大好きなライブバンドのひとつ、ホールド・ステディがブルックリンのボウリング場で配信ライブをすることになり、サウンドチェックの合間にファン向けのハッピーアワー・トークの司会を任されたのだ。会場には僕とバンド、数名の助っ人だけ。空っぽの部屋に足を踏み入れ、約1年ぶりにロックバンドと顔を合わせるのは何ともシュールな気分だった。暗がりでただ一人、フロアには他に誰もいない状態で、盛り上がって踊るのはダサイんじゃないか、と一瞬頭をよぎった――だがこれまで僕が踏みとどまった時があっただろうか? 僕は誰もいないボウリング場の壁に飛び跳ね、「Killer Parties」に合わせて声を上げた。「そう、これだよ、この感じ!」という気持ちと、「いいや、この先しばらくはもうないだろう」という気持ちがほぼ同時に訪れ、エクスタシーと悲哀が入り混じった。

ライブストリーミングの画面には、世界各地のファンの姿があった。友人や、ホールド・ステディのコンサートで毎年顔を合わせる知人の顔もあった。いとこもアイルランドからアクセスしていた。長いこと会っていない人たちを思った(ライブストリーミングで友人の顔を探すのは、リプレイスメンツの「Left of the Dial」に出てくる“ダイアルから君の面影を探す”という歌詞さながらの新鮮な経験だった)。バンドは3月にも配信ライブを行い、これまた大盛況だった。偉大なバンドを無観客状態で見るのは複雑な心境だったが、それでも土曜日に人生を無駄に過ごすよりは99.99%マシだった。ホールド・ステディも歌っているように、そうさ、僕らはきっと再び立ち上がる。



ワクチン接種後、僕が初めて経験した屋内イベントは、ニューヨーク・シティのクラブで行われたジョン・ムレイニーの新作コメディ・ショウだった。ワクチン証明書がないと入場不可で、携帯電話は磁気ポーチにしまわなくてはならなかった(すべてのショウがこうあるべきだ)。観客はただその場で、緊張気味に笑った。久々の夜の外出に観客が戸惑っているのを感じ取ったムレイニーはこう言った。「みんな2020年2月以来久しぶりにアパートを出て、よしライブショウに行くかと心を決めて、僕が人生で最悪の1年を語るのを聞きに来たのかい? わざわざ金を払って?」

ムレイニーは薬物中毒と依存症からの回復を、赤裸々に、歯に衣着せず、ずばりと語り、リハビリ中に起きた1月6日の議事堂占拠についてジョークを飛ばした。「君たちアホどもを置いて60日間のリハビリに行ったら、このざまか? 僕が目を光らせていた時は一度も起こらなかったのに!」 彼は最後に公衆の前に姿を見せて以来、重苦しいな変化を経験した。僕たちみんながそうだ。ショウのあと、僕は友人と一緒に蒸し暑い夏の夜のマンハッタンを、ハドソン川からイーストリバーまで横断しながら、今しがた目にした素晴らしい出来事を反芻した。ショウのあとの感想――ショウそのものと同じぐらい、僕はこうした会話に飢えていた。

カラオケのない人生なんて味気ない。人によってはセラピーであり、自分へのご褒美であり、宗教的体験でもある。僕もこの秋まで、まさか再びカラオケができるとは思ってもいなかった。だがLAの友人がコリアタウンに、禁酒時代さながらの秘密のカラオケ部屋を併設した場所を見つけた。僕らは待ちきれず、ヒット曲を歌いまくった(ちくしょう、会いたかったぜ「Celebrity Skin」!)。僕はオリヴィア・ロドリゴの「Brutal」が歌いたくて仕方がなかったが、もちろん最近の曲が載っているはずもない。そこでエラスティカの「Connection」に合わせて「Brutal」を歌った――完璧にマッチした。ワイヤーからエラスティカ、そしてオリヴィアへ。すべてが1本につながった。

それから1週間後、友人たちが公園で屋外カラオケをやるというので、6月の夜ブルックリンの星空の下で、僕は「Brutal」をあらためて歌うことになった。共犯者数名とバッテリー駆動のスピーカー、ラップトップ、それにディスコライト。バッテリーの容量がなくなるか、警察がくるまで大騒ぎ。公園を通りかかった赤の他人も参加したがり、マイクがほうぼうに回された――酔っ払った男2人がチーフ・キーフをラップし、子供がシナトラを甘くささやき、イラン人観光客が「Another Brick in the Wall」を熱唱した。バッテリーが切れると、順番待ちしていた女子高生4人組がアカペラで「イマジン」を歌った。全員で大合唱。ぶっちゃけ、あの曲は二度と聞かなくてもいいと思っていたが、あの夜は今までで一番心に響いた。

Translated by Akiko Kato

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