R&Bの名盤、メアリー・J・ブライジの2ndアルバムに隠された物語

「私の人生は、自分に起きたことを忘れられずにいる人生」

4. ブライジはR&Bのサウンドとスタイルの転換を担った

数十年にわたる全盛期の後、R&Bは1980年代末に危機を迎えた。ヒップホップがアメリカでは台頭した。R&Bは時代の流れに合わせるべく、こじゃれた若者のジャンルからサウンドを拝借し、そこからニュー・ジャック・スウィングやヒップホップ・ソウルといったフュージョンが生まれた。「メアリーは男性中心のラップシーンに、R&Bをベースにした独自のヒップホップ・テイストを持ち込んだ先駆けだった」と言うのは、ヴァイブ誌の元編集長ダニエル・スミス氏。当時は「ヒップホップをバックにR&Bを歌うシンガーは多くなかった」と、ラッパーのメソッド・マンも言う。彼はまた、ブライジの音楽は「曲に合わせて踊れるし、ノれるし、おふくろ世代の音楽とは全然違う。でも(ブライジは)おふくろも気に入るように歌うんだ」とも語っている。


5. ブライジは業界のトレンドを一刀両断した

「あの当時、黒人女性アーティストは大声で滑らかに歌い上げるのが鉄則だった」とスミス氏。だがブライジはアニタ・ベイカーが好きだったにも関わらず、音楽業界で同じ轍を踏む気はさらさらなかった。Uptown Recordsでブライジと一緒に仕事をしたP・ディディは、彼女の「ハスキーで腹の底に響く」声に圧倒された。それは女優タラジ・P・ヘンソンも同じだった。「今まで見たことはないけれど、そこにあることは知っている。(ブライジには)そういうところがあったわ」と彼女は振り返る。「彼女は私たちに顔を与え、名前と物語を与えてくれた。私たちに人格を与えてくれたの」

同じように、若かりし日のアリシア・キーズもブライジの姿勢に触発された。「自分らしくいてもいいんだ、と思えるようになったわ。ちょっとばかり角が立っていても、気が強くてもいいんだって」とキーズ。「本当の自分をさらけ出しても構わないんだ、という気分だった。最高だったわ」「当時そういうのは(あまり)見られなかった」とも彼女は言う。残念ながら「今でもあまりお目にかかれないけれどね」


6. ジョデシーのシンガー、ケイシー・ヘイリーとの関係は、『マイ・ライフ』収録中に破綻していた

Uptown Recordsと契約し、1993年の春にはデビューアルバム『ホワッツ・ザ・411?』が200万枚以上のセールスを記録すると、ブライジはたちまちR&Bの寵児となった。それはゴスペルの力強さを前面に押し出した同じレーベルのヒップホップ・ソウル・グループ、ジョデシーも同じだった。ブライジはやがてジョデシーのケイシーと恋仲になるが、「2人とも人生の成功に対処できなかった」と本人は言う。

「すべてが最悪で、荒んで行った」と彼女はさらに続ける。「相手を自分の思い通りにさせようとすることが多くなり」、しまいには「余計なことは言わないようにしよう、出しゃばらないようにしよう、そうすれば自分は特別じゃないと思わなくて済むし、あなたと一緒にいられる」とまで考えるようになった。ブライジの友人の話によれば、ある日姿を見せたケイシーが「ものすごく怒りをたぎらせて……彼女に暴力を振るい始めた」という(ケイシーはドキュメンタリーには登場しない)。「生きるために、私は体を張って戦わなくちゃいけなかった」とブライジも言う。

恋愛関係が破綻したことで薬物依存が悪化し、ブライジは負のスパイラルに陥っていった。「あの恋愛で鬱になって、人生が巻き戻された。子供のころ、少女時代の出来事が全部全部よみがえってきた」と彼女は説明する。

「私の人生には日は当たらない」 シンガーはこうも語っている。「私の人生は地獄。私の人生は、自分に起きたことを忘れられずにいる人生。凌辱されたことが頭から離れない。詳しくは語らないけれど――子供のころは他にもいろんなことがあったのよ」

Translated by Akiko Kato

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