エマ・ジーン・サックレイ、UKジャズの個性派が語る「変人たち」に魅了された半生

 
自分は色々なことを同時にやりたい

―その後はトリニティ・ラバンの大学院に進学したそうですが、そこではどんなことを学んでいたのでしょうか?

エマ・ジーン:作曲で修士を取るために入学して、小さなクラシック・オーケストラで作曲と指揮をしていた。ここでは、それまで目標にしていたジャズ・オーケストラの作曲家になるためのスキルを得ることができた。この大学を選んだのもイギリス人のジャズ・コンポーザー、イシエ・バラット(Issie Barratt;トリニティ・ラバンのジャズ科主任やナショナル・ユース・ジャズ・コレクティブのCEOも務めた作曲家/教育者)がいたからだけど、彼女から学んでいくうちに、自分はひとつのことだけにずっと向き合えるタイプではないことを知ってしまって……。つまり、オーケストラの作曲だけでは楽しくないし、満足もできない。自分は色々なことを同時にやりたいんだってことに気づいてしまった。だから、授業が終わるとビートメイクをしていたし、トランペットも、歌も、全部やって、全てのスキルを日々向上させながら技術を磨いてきた。周りの人には「何もかも同時にやるなんてことはできない。一度にひとつずつ習得していくべき」って教えられてきたけど、そういう声を真に受けずに全部やった結果、自分にはそれが必要だったことに、卒業後に活動していく中で納得することができた。

―ちなみに大学では誰に師事していましたか?

イシエ・バラットと、もう一人はエロリン・ウォーレン(Errollyn Wallen:カリブ海に面する中央アメリカの国ベリーズ出身。イギリス屈指のクラシック音楽の作曲家)。2人は最高の変人。ありのままでいる彼女たちのことが大好きだった。パワフルな彼女たちと交流することができたのは本当に特別な時間だった。


FACTの名物企画「Against The Clock」でトラックメイクの過程を披露するエマ・ジーン

―大学院で特に印象に残っている授業は?

エマ・ジーン:ミュージシャン以外が講師を務めた小さな教室で、数人だけで受ける授業が好きだった。特に印象に残っているのがファーガス・ヘンダーソンっていうシェフの講義。ロンドンのレストラン「St. JOHN」を経営していて、動物の鼻からしっぽまで料理するシェフとして有名になった人なんだけど、彼の話にはすごく感銘を受けた。私はヴィーガンだから肉も食べないし革製品も使わないけど、全てを材料にして自分の表現をするっていう彼の思想が興味深かったし、そこに清廉さがあったから。彼の「特別なものより重要なもの、メッセージ性があるものを作りたい」って言葉は私の信条とも合致していた。だから、彼の話はとても印象に残ってる。

大学ではそういう授業を通して、自分の音楽のマントラ(真言)について考えるようになった。私の音楽は、身体を動かし、精神を動かし、魂を動かすものなんだと気付いていった。つまり、私の音楽はグルーヴがあり、本能的な音楽だということ。そして、身体と脳に訴えかける音楽だということ。前向きな言い方をするとクレバーな音楽であり、滋養になるのがジャズだと思う。ファーガス・ヘンダーソンの授業は、誠実さを持って音楽を追求するきっかけになったし、信条を持って自分の作品に向き合いたいという、当時私が考え始めていたことに自信を持たせてくれた。


St. JOHNの紹介動画、ファーガス・ヘンダーソンも途中で登場


「Movementt」(2020年のEP『Rain Dance』収録)MVではダンスする人々をフィーチャー

―作曲を学んでいたとのことですが、特に研究した作編曲家はいますか?

エマ・ジーン:1人はギル・エヴァンス。そもそも、(マイルス・デイヴィス&ギル・エヴァンスの)『Sketches Of Spain』が、私がジャズの世界に入ったきっかけだから。私はヨークシャーで育ったんだけど、その頃はずっとブラスバンドでサックスを演奏してた。田舎ではブラスバンドが定番だから。そこで私が「Concierto de Aranjuez」のソロをやることになって、音源を探していた時に、間違えてギル・エヴァンスの音源をダウンロードしてしまった。その音源を聴いて、衝撃を受けたのが初めてジャズに触れた瞬間。これは宇宙からの贈り物だと思った。完全に偶然だったから。「これだ」と思ってマイルス・デイヴィスも聴き始めて、お金を貯めてCDショップに行くようになった。それで、安いCDの山からマイルス・デイヴィスのCDを探して聴いていくうちにジョン・コルトレーンのことも知って、ジョン・コルトレーンのCDも買って…そんな風に、自然とジャズの世界を開拓していった。それが14歳ぐらいの時。当時、友だちもいなくて孤立していたから、ジャズが私だけの特別なものになった。学校の子たちにジャズのCDを見せたところで、分かってはもらえないしね。ギル・エヴァンスの音楽が素晴らしいのはもちろんだけど、それ以前に、彼の音楽に出会ったその偶然が特別で、私にとって大切なものになったんだと思う。



エマ・ジーン:そして、もう1人はブライアン・ウィルソン。特に『Smile』や『Pet Sounds』期をよく聴いてる。友人やバンドメンバーは私のことを几帳面で気難しい人間だと思っているんだけど、私だって時々彼らに自由にインプロビゼーションをしてもらったりするし、自由に提案してもらったりもする。でも、そう言うときは私が心理戦をしているからで、彼らはバンドの中で自由を得ていると思っているけど、実際は私なりの方法で物事を進めてるだけだったりする。ブライアン・ウィルソンのエピソードで、スタジオにいる人たちを追い出すためにそこにあった何かに火をつけたっていうのを聞いたことがある。私はそんなことはしないけど、スタジオで『Yellow』のセッションをしている時、スピリチュアルの力を借りて、バンドのメンバーたちをある種の精神状態に持っていくようにしたりはしていた。

―それはまたすごいところに共通点が(笑)。

エマ・ジーン:あと、『Yellow』では(ブライアン・ウィルソン的な)ウォール・オブ・サウンドのアプローチを取っていて、私はストリングスだったりホーンだったり、あらゆる音を使っている。私にとってのウォール・オブ・サウンドは、多重録音やレイヤーを重ねるというよりも、色々な楽器の音がブレンドされて、新しい音が生まれた状態のこと。曲を聴いた時に「これはストリングス!」ってすぐにわかるような音ではなく、曖昧な音って感じで、この世のものではない奇妙な雰囲気になったら嬉しいと思ってやってる。一度聴いただけではどの楽器で何が行われているかわからなくて、何度も聴いて解明したくなるようなものにしたいってこと。

―では次に、特に研究したビートメイカー/プロデューサーを教えてください。

エマ・ジーン:一番最初に追いかけていたのはJ・ディラとマッドリブ。ウェールズに住んでいた学生時代に彼らの存在を知ったんだけど、2人ともヒップホップとジャズが融合した音楽で、彼らのリズムの扱い方や、全てが一筋縄ではいかないようなサウンドが好きだった。ビートがとても特徴的だし、あれがまさにグルーヴというものだと思う。だから、彼らの音楽を聴いて、分析して、グルーヴについて考えると、彼らのそれは全く新しいものなんだと気づいた。つまり、譜面を見て「1、2、3、4」と数えられるようなものではないし、ビートの周りの音との関係について考えるようなものでもない。それとは別のうねりのようなもので、リスナーと一緒になって精巧な演奏が繰り広げられる感じ。精巧な緩急があり、それが(リスナーの)肉体的な動きを引き起こす音楽だから。彼らの音楽を聴けば勝手に身体が動いて、(自分の身体の動きと音楽が一体となった)うねりの中でビートが構築されていくような。

そして、私は特にマッドリブへ関心を持つようになって、彼の姿勢を尊敬するようにもなった。なぜなら彼は休んでいる様子が想像できない人だから。マッドリブはずっと何かを作り続けている。私も常に作業をしているタイプだから、彼にシンパシーを感じる。例え、作ったものが誰にも聴かれなくても、それがリリースされないとしても、ずっと何かを作っていたいと思うし、いきなりバンドを結成する可能性だってある。実は前に、友だちを誘って突然スピード・ガラージ(UKで生まれたダンス・ミュージック。ハウスの一種)のバンドを組んだことがある。でも、次の瞬間にはまた違うことを思いついて、別のことをやってた。ある意味、呪いだと思う。リラックスしている瞬間がないし、脳はずっとノイズだらけだから。でもこの性格のおかげで、エキサイティングで退屈知らずの、変化に富んだ人生を送れたらいいなと思ってる。1週間のうちに、誰かの曲のミックスをして、自分のバンドの曲を書いて、クラブでフリージャズの演奏をする、みたいなね。マッドリブもそんな感じだと思う。ブラジル音楽のアルバムを作ったと思ったら、キューバ音楽のサンプリングをしてるマッドリブみたいに、私も世界中を飛び回るようなミュージシャンになりたいと思ってる。このグルーヴがいいな、ロシアのこの楽器かっこいい、じゃあ今度はこれを研究してみよう、みたいな感じで、ずっと脳を動かしていたい。つまりはずっと疲れてるってことなんだけど(笑)。

―マッドリブの作品で特に影響を受けているものは?

エマ・ジーン:(『Medicine Show』シリーズの)『HIGH JAZZ』。色々なジャズバンドのサンプリングをして、架空のバンドが演奏しているテイの作品。あとはイエスタデイズ・ニュー・クインテットも、私にとって大きなインスピレーションになっている。実際、数年前にリリースした『Ley Lines』(2018年)ではマッドリブと同じアプローチをやってみた。全部私自身で演奏したんだけど、別々のミュージシャンが演奏したように聴かせてる。その時は自分の中の別人格を呼び出すようにして演奏した。例えばドラマーを演じる時には帽子を被って、他の人格を探求したりしてね。「自分は今、怒ってる」って決めてそういう激しい感情を演奏に表したり、チルなミュージシャンを演じる時には椅子にゆっくり座って、そういう人が着るような服を着たりもした。マッドリブがそういう風にしたとは思わないけどね。彼はドラッグの力を借りてるかもしれないから(笑)。でも、方法は違えど、自分自身で複数のミュージシャンを演じて演奏するっていう、そのアイデアにインスパイアされたって感じ。さっきの話ではないけど、脳がノイズだらけの人間としては、彼のそのアイデアに芸術心をかき立てられているから。




―ジャズの世界でも、マイルスみたいに録音した即興演奏を解体して再構築する手法をとっていた人や、エルメート・パスコアールのように多重録音を駆使する人もいました。そういうオルタナティブなジャズ・ミュージシャンに関してはどうですか?

エマ・ジーン:エルメートは良い例だと思う。私は2019年の春、ブラジルに数カ月滞在して、その時に彼と会ったんだけど、有名人に会って感激したのはあれが初めて。私が見たライブでは彼がバンドの行進みたいなことをしていて、彼らがフルートを演奏したりドラムを叩いたりしている様子を見てたら涙が溢れてきた。エルメートは存在感がすごいし、素晴らしき変人だし、音楽も想像力に富んでいて楽しくて、理知的。彼の存在は私にとってとても大きくて、たくさん影響をもらってる。マイルスやドン・チェリーもそうだけど、そういう変な人に強く惹かれるのは、私が「変な子ども」と言われて育ったからだと思う。親にも「兄弟の中で変わった子」って言われていたし、どこに行っても、うまく馴染めたことがなかった。誰も芸術に興味がないような田舎に生まれたけど、そんな町を、ウォークマンでマイルス・デイヴィスを聴きながらいつも歩いてた。でも、自分の「変」なところは隠さずに、ありのままでいようと思ってた。そうやって自分らしくいられたからこそ、今は自分の音楽を楽しむことができてる。願わくば、誰の音楽にも似ていないものを作れていたらいいなと思う。背景にはマイルスやマッドリブや、たくさんのミュージシャンたちの存在があるけど、私だけの音楽を作っていきたい。私と同じように普通と違ったり、世間に馴染めなかったり、そういう人たちからのインスピレーションをもらいながらね。
エマ・ジーンとエルメート・パスコアール

Translated by Aoi Nameraishi

 
 
 
 

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