安部勇磨が初のソロアルバムを語る 「無駄な音を排除しない」曲作りとは

ソロだからこそ生まれた「意味なんかない」曲

─それはどういう理由で?

安部:歌があるものより、自分に問いかけてくるものが多い気がしたんですよね。“歌”って歌っている人の感情がどうしても込もってしまうと思うんですよ。もちろん最近のクルアンビンみたいに歌があってもハミングみたいなのだったら別ですけど、一聴して意味がないような歌とか音楽ってすごくいいなって思えてきていたんです。

─まさに今作収録の「意味なんかなくても」という曲の歌詞そのものですね。

安部:そうですそうです。今って意味のないものを排除する傾向にあるじゃないですか、世界規模で。でも、意味がないとされるものや、意味がなくても感覚的に楽しいものとかが、あとあと実は意味があったことがわかったり、作った本人の思惑とは違う意味になって現れたりするってことがすごく面白いというか、重要な気がしてきて。自分の中で、意味のあるものを考えすぎてたかな、意味のある音楽を意識しすぎていたかなって。そういうことに気づいたらポンポンと曲ができるようになったんです。ネバヤンだったら「こんな曲はナシだな」って曲でも、僕のソロなら全然いいやって感じで。短い曲がたくさんできたのも、そういう感覚で気軽に作れてたからなんですね。実際、ネバヤンだと、特にここ数年は「いかにもネバヤンらしい曲」みたいなのを求められたりして……もちろんそういう曲が求められているっていうのも有難いことだし、わかるんですけど、自分もそれに応えなきゃって思うと、なんか、セルフコピーみたいになってきたりして……そういうのに気づいたりしたんですよ。でも、あんまりわがまま言えないよな……って自分に言い聞かせたりもしていて(笑)……そういうのがだんだん窮屈になってきていたというのもあったと思います。

それなら、じゃあ、自分でわがままできる環境は自分で作ればいいや!って。今回のソロにはそういう流れがあったんですよ。たぶん、これって僕だけじゃなくてネバヤンのメンバーみんな感じていたことだと思います。だんだん自主性がなくなってきてるな、みたいに。昔は自分たちで企画したりして「やるぞ!」って感じだったのに、今は逆に「こういう仕事どうですか?」とか「これやってください」「これに出演してほしい」みたいに頼まれることが増えちゃった。もちろんそれはありがたいことなんですけど、昔ほど自分で自主的に動くことが少なくなってきて、そんな自分にイライラもして。そうやって不満ばっかり考えてる自分もイヤで。で、しまいにはイライラするのにも飽きてきて(笑)。ふと、「あ、これはネバヤンを始める前のあのイライラした感じに似てるな」って思ったんです。で、ちょうどその頃に、今回のアルバムを一緒に作ってくれたメンバーとも自然と集まれるようになってきて、この人たちとなら面白いものが作れるかもって思えたんですよね。そこにシンセの音とか環境音楽への興味が重なって……って感じですね。

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