甲斐バンド、デジタルとアナログの狭間でもがく80年代初頭を振り返る

観覧車 ’82 / 甲斐バンド

この曲は、1981年11月発売のアルバム『破れたハートを売り物に』の中にも収録されているんですけども、機会があったら2曲聴き比べていただけると面白いと思います。音像が全然違いますね。この映像感、広がり方、エコー感。ボブ・クリアマウンテンは当時ロキシー・ミュージック、デヴィッド・ボウイ、ザ・ローリング・ストーンズらにを手掛けて世界のロックファンから注目の的でした。ロキシー・ミュージックの『アヴァロン』、デヴィッド・ボウイの『レッス・ダンス』とか、それまでのロック・アルバムとは全然違う音が聞こえてきたアルバムでした。

甲斐バンドがニューヨークに行ってボブ・クリアマウンテンと一緒にやる前に、ボブ・クリアマウンテンが手掛けていたのがザ・ローリング・ストーンズの『スティル・ライフ』でした。1981年の夏からずっと連絡をとってトラックダウンをお願いしていて、結局1982年になってしまったのはそういうスケジュールが詰まっていたからなんですね。

きっかけになったのが1曲目にお聴きいただいた「破れたハートを売り物に」。パーカッションの音の響き方や広がり方は、当時の日本のエンジニアではなかなか思うようにできなかった。あのアルバムではエンジニアが三人変わってます。どうしても本物の、ロックの音にしたいということでボブの元にたどり着いたわけです。甲斐さんは「俺たちはニューヨークに行くんじゃない、ボブ・クリアマウンテンと仕事しに行くんだ」とずっと言っていましたね。幸い、私も取材でスタジオにいたんですが、トラックダウンの1曲目がこの「観覧車 ’82」だったんです。松藤英男さんが呆然とした表情でロビーに来て、「わしのドラムがロキシー・ミュージックになってしまった」と言っていたのを今でも思い出します。

1980年代、エンジニアの時代が訪れた。1980年にオフコースが、ボズ・スキャッグスと一緒にやっていたビル・シュネーと組んで『We are』というアルバムを作ったんですけど、あれを聴いた時もなんだこれは! と思ったんですが、この『虜-TORIKO-』の驚きはその比ではありません。エポック・メイキングだったニューヨーク三部作の話は来週もお聞きいただこうと思うんですが、今日最後の曲は、先ほどお話した1980年のアルバム『地下室のメロディー』から「漂泊者(アウトロー)」の1985年の国技館ライブ音源。2019年の45周年記念ベスト『サーカス&サーカス2019』からお聴きください。

Rolling Stone Japan 編集部

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