SIRUPと手島将彦が語る、当事者ではないからこそ知っておくべきメンタルヘルス

ーご自身含め、身のまわりでも精神面の辛さを感じる人は多かったと。

SIRUP:どちらかというとミュージシャンになる前までの方が多かったかもしれないですね。身近な友達でも精神的に追い詰められて命を絶ってしまった人がいて。ミュージシャン仲間でも、「つらい」という話を聞くことは多いです。誰かに相談したくても、できないことが多い。仕事での付き合いということもあるし、ホモソーシャル的なノリや気合い論もまだあるので、心の内を話せる人は本当に少ないですよね。

手島将彦(以下、手島):同じような声は聞きますね。僕はカウンセラーの立場ですが、カウンセラーというのは第三者として経済的な利害関係にないから話しやすいという面もあると思うんです。エンタメを産業として考えると、商売だから売れた売れないの数字の比較は避けられないけど、特にミュージシャンは自分の内面から何かを捻り出して作品を作るわけですよね。つまりそうやって出てきた作品は、ある意味で本人そのものなんですよ。そうなると、それを比較するということは、本人の存在自体を他人との比較に晒すことになってしまう。だから、おかしな話になりやすくなります。自分自身を他人と比べてどうこうって言われるとつらいし、相談しづらくなっちゃいますよね。支える人がよかれと思って比較していることが多いけど、気をつけないと対象の存在を否定してしまうことに繋がると思います。

SIRUP:アートを資本主義経済に乗せるには、絶妙なバランスを保たないといけないですよね。特に日本だと、売れる売れないの二元論、もしくはバズるという抽象的な尺度で決めてしまっている。そういう社会の中で、自分は自分だと思うのは難しいです。例えば、音楽性だけじゃなくて、活動の仕方まで比較されてしまったりもする。僕も最近学んだことなのですが、基本的にプロモーションの仕方が前時代のものを引き継いでいる。「こうやって露出を増やせばいいんだ」みたいなフォーマットを全員に当て嵌めちゃうやり方がよくないんです。その人にしかない売れ方があるし、本来は違うものなのに同じプロモーションの中で個性をどうにかしないといけなくなっている。それを意識するかしないかは、かなり大事だと思っています。

手島:まったく同感です。エンタメや音楽に限らない話ですが、そうしたことの一例として「年齢ごとにクリアしていないといけない」という設定と強迫観念があるような気がします。例えば22歳や20歳や18歳などの区切りで大学・専門学校・高校などを卒業して社会人になってないといけないみたいな。本当は人間の成長って個々人それぞれが違うから、本来の成長曲線を無視して同じタイミングでクリアする必要はない。20歳で何かを達成する人もいれば、30,40歳で何かスイッチが入る人もいる。この年齢までにこれをしなさいみたいな呪縛は大きいなと思いますね。僕は学校で働いていますけど、高校を卒業した年齢だからと思って、無理に進学してきて心が折れてしまう人も残念ながらいます。本人の個性や特性に関係なく、社会や企業などにとって都合がよいようによくバサバサ切って出来た型に合わせるようになっていて、その弊害があると思います。

SIRUP:僕も音楽を真剣にやりはじめたのが20歳くらいで、25歳までに食べられてないとやめると思っていたけど、30になってやっと音楽でご飯を食べられている。それまで年齢について言われる場面はあったし、周りでも気にしている人はいましたね。ミュージシャン以外でも歳相応にとかよく言われますけど、基準のない話じゃないですか。

手島:どこかの年齢で進化を止めろと言われている気もしちゃいますよね。以前、SIRUPさんが「まだ人間進化の途中なんじゃないか」と仰っていたのを覚えているんですけど、それにも繋がる話だと思うんです。個人も人間全体もどこかで勝手に完成した感覚になっている。極端な例ですけど、ギリシャ人と日本列島に住んでいる人を紀元前の時点で比べたときに、豪華な建造物を作るとか哲学や数学の理論とかで比較すると日本列島に住む人が劣っているという話になってしまうかもしれません。でも今の日本とギリシャで、そんなに大きな文明の差があるわけではない。そもそも仮に比較するとして、人を構成する要素はとても多いのですから、その比較項目はもっともっと多くなければならないはずですし。どこかの段階で少ない比較項目だけで判断すると、見えないものがでてきたり、差別が生まれたりするんですよね。

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