高田渡のカバーアルバム『コーヒーブルース』、高田漣と父子の思い出を振り返る



田家:このアルバムの最後の、「ホントはみんな」、「おなじみの短い手紙」、「くつが一足あったなら」が良かったですね。

高田:ありがとうございます。この順番にレコーディングしたわけじゃないんですけど、父のやったようになぞる作業から、段々と自分のカラーが少しずつ出てきたというか。自分の次の作品につながるヒントが、少しずつ定まってきたんです。特にこの「おなじみの短い手紙」は、それこそ父と一緒にやり始めた1990年代のレコーディングスタジオのことを急に思い出したりして、当時の懐かしい機材を使って録音したりしましたね。

田家:なるほど。何を伝えたいのかが、スタイルじゃないところで分かってくる曲ですね。伝えたいことはたくさんあると思いますが、17回忌の中で改めて高田渡という人がこの後どのように若い人に伝わっていけばいいと思いますか?

高田:自分も自暴自棄になることがあるんですけど、高田渡みたいな人はもう世の中に生まれないんじゃないかって、よく色々なレジェンドの話をすると出てきますが、今回写真集とか父の作品を聴いて思うのが、いつの時代にも高田渡的な若い人たちってたくさんいて、でも自分たちが年老いていく中でそれをキャッチできなくなってきてるんじゃないかなと思っていて。でも絶対いるんですよ。それを高田渡という言葉で言うべきじゃないと思うんですが、比喩的にいえば新しい高田渡。そういう人たちが表現できる場所があるのが理想だと思うし、かつてはそれがURCやベルウッドであり、三浦光紀さんらが作り上げたある種の理想郷であって。そういう意味でのフォークソング、グッドミュージックが残っていくのが理想かなと思いました。

田家:いつの時代にも“高田渡的”な若い人たちがいる。なるほど。ありがとうございました。

高田:ありがとうございました。

Rolling Stone Japan 編集部

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