高田渡のカバーアルバム『コーヒーブルース』、高田漣と父子の思い出を振り返る



田家:これは実際にステージで二人でいっしょにやられたことがあるという。

高田:そうですね。大概の場合、父はこの曲から始めてましたね。

田家:一緒にやるようになったのはいつからなんですか?

高田:元々17歳くらいの頃に僕がだんだんギターを弾くようになってきて。父も面白がって、最初はステージで1、2曲一緒にブルースを演奏するようになったのが最初で。その頃は賑やかしというか、自分もそこまでいろいろなことできなかったですし。でも何年も経っていくうちに、少しづつレパートリーが増えてきて、いろいろな地方の方が漣君も連れてきてよっていうことで一緒に旅をすることが増えてきたという感じですね。

田家:「仕事さがし」は渡さん本人も忘れてた曲なんですって。

高田:そうみたいですね。恐らくそれこそ1stアルバムの頃に歌っててもおかしくなかったんですよね。ライブ音源も残ってるんです。曲調はもうちょっとブルージーな感じだったんですけど、すっかり父は忘れてて。友人だったシバが歌っていたのを聴いた父が感動したらしく、後日シバの家に電話をかけてきて「この前歌ってた仕事さがしって曲の歌詞を教えてくれ」って言ったという伝説がありますね。だから、高田渡の曲ではあるんですけど、シバというフィルターもあって完成した部分もあります。

BGM(仕事さがし / 高田漣)

田家:再び「仕事さがし」を聴きながら、話を進めて参ります。アルバムを作ってみようと思った時に、どういう手の付け方をされていったんですか?

高田:父が生きていたとして、じゃあ一緒に今までの楽曲でアルバムを作ろうと言った時に歌うであろう曲をなるべく選ぶようにしてましたね。普段のステージで一緒にやっていた、ライブレコーディングをしているような感じで選曲しました。

田家:かなり選曲やアレンジを悩まれたわけでしょう? 

高田:そうですね。あるいは、父は最近この曲歌わないけどこんないい曲あったんだよって父に伝えたいような思いもあって選んだ曲もあったりしますね。

田家:それはある種の感傷的な作業でもあったんですか?

高田:ノスタルジックな気持ちもなかったわけではないですけども、不思議と録音しながら思い出される話は、高田渡の面白かったこと。一緒に演奏していて笑ってしまったこととか、一緒に旅をしていて馬鹿みたいに笑っていた風景が浮かぶ方が多かったですね。

田家:それでは、このアルバムのタイトル曲「コーヒーブルース」をお聞きいただきます。

Rolling Stone Japan 編集部

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