高田渡のカバーアルバム『コーヒーブルース』、高田漣と父子の思い出を振り返る

田家:アルバムのライナーノーツに、父の歌を歌えるようになったのは最近(リリース当時)だと書いてましたね。

高田:震災の影響がすごく大きくて、その後にいろいろな場所でちゃんとしたPAシステムもないような状況でライブをする機会がある中で、アンプラグドなアコースティックギターと歌という風に自分が徐々にシフトしていくような時に、父をはじめとして、子供の頃から聴いていた先輩たちのフォークソングをもう一度追体験していく感じがありまして。そこから一気に父の歌に戻っていったという感じでしょうかね。

田家:アンプラグドな形に対して改めて惹かれるようになっていったと。

高田:それが一番大きなきっかけでしたね。あとは、日本語の表現のダイレクトさをもう一度思い知ったというか。自分たちが伝えたいことがあるなら、それを日本語で表現するのが日本人にとって当たり前のことで。そういうことに気づかないほど、自分は長いこと洋楽の世界にいすぎたのかもしれません。

田家:なるほど。どんなアルバムにしようかということを考えて作られたんですか? アルバムを作るということが先にあったんでしょうか?

高田:そもそも作品全体の音楽的な青写真というよりも、もし父と一緒に作品を作るのであれば、きっとこういう手段を取るだろうなという感じで録っていたことは確かでしたね。クリック音を入れないとか、歌とギターを一緒に録って、なるべく一期一会の雰囲気を大事にするとか。ある種、自分ではあるんだけど、父のアルバムをプロデュースしているようなイメージでやっていましたね。

田家:残念なことは父の作品をプロデュースできなかったことだ、と仰っていましたもんね。そういうライナーノーツを参考にしながらアルバムの話をお伺いしていこうと思います。そういう話をお伺いして、この曲が一曲目だと、なるほどと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。カバーアルバム『コーヒーブルース』の一曲目、高田漣さんで「仕事さがし」。

Rolling Stone Japan 編集部

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