『ストップ・メイキング・センス』製作秘話 トーキング・ヘッズ傑作ライブ映画を振り返る

『ストップ・メイキング・センス』ポスター (C)1984 TALKING HEADS FILMS. ALL RIGHTS

ついに公開が始まった映画『アメリカン・ユートピア』に合わせて、トーキング・ヘッズの伝説的ライブ映画『ストップ・メイキング・センス』が6月11日〜17日にかけて渋谷シネクイントで上映される(『アメリカン・ユートピア』と共に爆音上映も決定、詳細は後述)。「ロック映画の最高傑作」はどのように作られたのか。初公開から数十年の時を経て、ドラマーのクリス・フランツが製作秘話を明かす。(※US版記事初出:2014年8月)

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公開当時を振り返って「ごまかしは一切要らなかった」と語るのは、トーキング・ヘッズの元ドラマー、クリス・フランツ。1984年に公開されたトーキング・ヘッズのコンサート映画『ストップ・メイキング・センス』は一大旋風を巻き起こした。「ありきたりな表現も要らなかった。ギターソロを弾くギタリストの運指のクローズアップも要らなかった。出ているミュージシャンをもう少し深く知ってもらうためにね」と言う。

トーキング・ヘッズがハリウッドにあるパンテージ・シアターでの3公演を撮影したのが1983年12月だった。このとき、彼らは『Speaking in Tongues』ツアーの最中で、通常のラインナップにパーカッション、キーボード、ギターが加わっていた。バンドがこの映画に求めていたものは、当時MTVで放送されていた映像とは対極にあるものだった。この作品を監督したのは、映画『羊たちの沈黙』でオスカーを手にする前のジョナサン・デミ。映像ではミュージシャンたちの顔のクローズアップが延々と続き、観客の映像はほとんどなく、振り付けを引き立たせるためにドラマチックな照明を使用している。そしてこの映画は、トーキング・ヘッズのメンバーであるデイヴィッド・バーン、ジェリー・ハリスン、ティナ・ウェイマス、そしてフランツの4人によってほぼ自費で製作された。そして『ストップ・メイキング・センス』が公開されると、彼らの粘り強さが実を結び、大ヒットをもたらしたのだった。当時の映画館では、この作品の上映中に観客が通路に立ち、みんな文字通り踊っていたものだ。

ローリングストーン誌はトーキング・ヘッズのドラマーに、30年を経た現在におけるこの作品の意義を聞いてみた。ちなみに彼は、妻のティナ・ウェイマスとトム・トム・クラブとして今でも音楽活動を続けている。



―『ストップ・メイキング・センス』を前回見たときの感想は?

クリス:みんなが言うトーキング・ヘッズの長所があるだろ? それがあの映画によって全部本当だと証明されている(笑)。あれに出演した全員が本当に最高の仕事をしたのはものすごい幸運さ。俺だったら1000ドル払っても観たいライブだもの。

―あの映画のアイデアはどんなふうに出てきたのですか?

クリス:もともと、あのツアーの記録を残したいと全員が思っていたんだ。リハーサルを1カ月ほどやって曲を覚えて、いざ旅に出るぞというときにジョナサン・デミが当時の恋人サンディ・マクロードと一緒にライブを観に来た。そしてジョナサンが「このツアーの映画を作りたい」と言ったから、俺たちは「渡りに船だな」と思った。あのときのジョナサン・デミはまだ新人監督で、俺たちは彼が撮った映画『メルビンとハワード』が大好きだったのさ。ジョナサンは俺らよりも少し上で、当時は話題にも上っていなかったし、事実上ほぼ無名だったよ。

―ジョンは場面をどのように構成しようとしたのですか?

クリス:あの頃、彼はゴールディ・ホーン主演の映画『スイング・シフト』の製作中だった。この作品の最初のカットを見たあと、ゴールディは自分が演じたすべてのシーンを撮影し直したいと言い出したんだ。だから、バンドを追いかけて、誰が何を演奏しているのか、どのカメラがどのタイミングで誰を撮影するのかをメモるのはサンディ・マクロードの役目になった。ジョナサンがゴールディの撮り直しに付き合っている間、サンディは1カ月間丸々俺たちを追いかけたね。

Translated by Miki Nakayama

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