GRAPEVINEが語る、手本に寄せない一点突破のバンド力と歌詞の深み

GRAPEVINE:左から亀井亨(Dr)、田中和将(Vo, Gt)、西川弘剛(Gt)

日本のロックの至宝と言ってもいいGRAPEVINE。彼らにとって17枚目のアルバム『新しい果実』がリリースされた。90年代〜00年代のエッセンス、R&Bやソウルといった要素を巧みに取り入れ、鋭い歌詞とともに多彩なサウンドを鳴らしている。傑作アルバムをめぐるメンバー全員インタビュー。田中和将(Vo, Gt)、西川弘剛(Gt) 、亀井亨(Dr)に話を聞いた。

―コロナ禍に見舞われた去年1年間はどんな風に過ごしましたか?

田中:僕らは自分からSNSで発信したりとかもしないので、基本的には何もしてなかったですよ。今回のアルバムのレコーディングのために集まれたのが夏の終わりぐらいです。それまではほんまにただ悶々としてただけ。決まってたライブがどんどんなくなっていって……。2019年の仕事納めが結構早くて10月ぐらいで年内最後のライヴが終わって。年末のイベントとかも別に決まってないから、それでは年末年始に曲でも書き溜めておきましょうかという感じで2019年を終えて。それから曲作りを各自が家でやってたわけです。それをデータで送って皆んなで共有しつつ、じゃあ年が明けたらまた集まって作りましょうかって言ってたら、世の中の雲行きが怪しくなって。

亀井:去年は何もできないので、ずっと待機状態でしたね。曲は去年の頭には作業に入れるぐらい出揃ってました。そこからコロナ禍に見舞われて時間が出来たので作り足すこともできましたけど、まぁ特に増えずに。何もしないまま過ごしてました。

西川:Zoomでミーティングも初めてしましたけどね。

田中:うん。2回ぐらいやった。

―ZOOMミーティングで何を話してたんですか?

西川:そうですよね(笑)。何話すんだろうみたいな。新鮮でしたね(笑)。似合わないなとは思いましたけど。

―GRAPEVINEのZoomミーティングってシュールだなぁ(笑)。

田中:ほんまに。しかも皆、不慣れなもんで、正直僕も初めてやったんです。「あ! 映った、映った!」みたいな。

―さっきの亀井さんの話で言うと、今回のアルバム『新しい果実』のデモはコロナ禍の前に完成していたと?

田中:そうですね。デモ段階のやつはコロナ禍前から作ってましたし。僕は曲を書き足したりもしたので、つまりネタ自体はいっぱいありました。

―作詞の面でコロナ禍の状況がトリガーとなるようなことは?

田中:トリガーでもないですけど、世の中のことを書きますし、人間のことを書くので、当然今の世の中の影響は出ますよね。それはこれまでも去年も同じでしたね。

―歌詞としては、コロナ禍の世の中を描いていると?

田中:そうですね。別にコロナ云々というテーマは一切使いませんでしたけども、まぁコロナ禍における世の中というのは色濃く出てると思います。

―歌詞が文学的で、かつ言葉のチョイスも秀逸で、歌詞だけでも十分な作品性を帯びているのですが、初期のGRAPEVINEの歌詞ってこんなでしたっけ?

田中:いやいや! 初期がどの辺までのことを言うのかは微妙な話ですけど。初期の歌詞も分かりやすいかと言うと、そうでもないのかもしれないですけど、もっと男女ごとに置き換えて、ヒットチャートにいてもおかしくないようなものをある程度意識しながら書いていたから。

―それをやめてしまったきっかけがあるんですか?

田中:あわよくば、何かの間違いでもっと売れるんじゃないかなと思ってたとこもあるんですけど、ある程度のところで、身の丈が分かってきたんだと思うんですよね。まぁいいか、好きなことやろうかみたいな感じはありましたね。

―なるほど。もう窮屈な思いをするのはやめようと。

田中:そうですね。そう思いつつも、まだシングルCDを出していた頃はまだ「シングルやから分かりやすくしとこうかな」みたいな忖度はしてましたね。

―明確にその忖度をやめた曲って?

田中:うーん、難しいですね。本当に徐々にですからね。2、3回ターニングポイントがあると思うんですよね。例えば、最初4人でやってたんですけど、元々いたメンバーが脱退した時だったり。それに伴って新たにサポートメンバーに入ってもらった時だったり。あるいは最初についてもらったプロデューサーの根岸さん、その後の長田さんだったり。そういう出会いを経験しつつ、世の中も変わっていきつつ、あと身の丈も分かっていきつつみたいなことで徐々に変わってると思うんですよね。だからどの曲がっていうのは難しい。

亀井:歌詞の話だと、田中くんは昔、本当に苦労して書いてて。締め切りに間に合わないとか、結構あったんですよ。

田中:あった! 歌詞できてないから歌入れ飛ばしてとか結構ありましたもんね。

亀井:それがいつの間にかなくなって。歌詞を書くのがすごく早くなったんですね。だから、今話を聞いて、そういうことかと思いました(笑)。

―それってどのアルバムからとかありますか?

亀井:明確にはないですけどね。どの辺なんやろうな。ある時期から気がつくと、歌録りは飛ばしてないなと思うようになりました。

西川:バンドとしてのターニングポイントでいうと、ポニーキャニオンにいた時に、僕らを拾ってくれたディレクターさんがいるんですけど、その方が離れたのは大きかったと思います。まるでお父さんがいなくなったみたいな感じでした。その方は元ミュージシャンで楽器の使い方、レコーディングの仕方、プロデューサー的なことまであらゆることを頼りにしてたので。いなくなって不安でしたね。その時同時に根岸さんもいなくなったんですよ。皆いなくなっちゃって、僕らだけになって。あの時が一番きつかったな。しかもメンバーが脱退したのも同じタイミングなんですよね。

田中:そうですね。いっぺんに環境が変わったみたいなところがありましたよね。

―その辺から今のGRAPEVINEへの助走が始まった?

田中:そうですね。幸い色んな自信をつけることができましたし、良かったと思います。

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