デイヴィッド・バーンが語る『アメリカン・ユートピア』、トーキング・ヘッズと人生哲学

現代社会の闇、政治と人種問題について

―映画でジャネール・モネイの「Hell You Talmbout」を演奏するとき、あなたとバンドが、不当に命を奪われたアフリカ系アメリカ人たちの名前を連呼しますよね。理解ある支持者(アライ)であることについて、あなたが学んだのはどういったことでしょうか?

バーン:僕ら自身、身中に毒を抱え込んでいるってことかな。僕らの全員だ。そして大事なのは、自分がその影響をこうむらずにはいられないと知ることだ。関係ないやつは誰一人としていやしない。だから、そいつをきっちり処理してやらないとならない。その毒を拒もうとしなくちゃならないんだ。そして、そいつを体から出してやらないとならないんだが、しかし、これがただ放り出すというわけにもいかない。ある意味では仕事だ。時にはものすごく時間がかかる。生涯かけて、ということだって有り得る。どうもそういう手順になっているんだなと、僕もようやくわかってきたよ。


「Hell You Talmbout」、ブロードウェイ公演での模様

―あなたは最近、80年代にトーキング・ヘッズの宣伝素材映像で、顔を黒や茶色に塗っていたことをあえて自ら知らしめて、そのことについて謝罪されましたね(※)。そういうきっかけをあなたにもたらした人々がいたと思うのですが、そうした彼らの存在から学んだことというのは?

※トーキング・ヘッズのコンサート映画『Stop Making Sense』(1984年)のプロモーション映像で、バーンが様々なキャラクターを演じるなかに、黒人に扮して顔を黒塗りする「ブラックフェイス」が含まれていた。バーンは2020年9月1日、自身のSNSでこれを謝罪。

バーン:僕自身はあのことはすっかり忘れていてね。まずはこう思った。「なんてこった、これは酷いな。時代のいかに変わったことか。そして、僕自身もどれほど変わったものか」けれど、すぐにこう考えた。「よし、ならこいつは自分で引っ張り出してやることにしよう。大袈裟にするつもりはないが、でも自分から口に出すことで、自分の問題として受け止めるんだ。そしてみんなにも、僕が成長し、変わったことがわかってもらえるはずだと願おう」

でもさっきも言ったが、こういうのはいわば進行中の手続きだ。それに、これも一緒に明言しておくけど、彼らは(謝罪を)ちゃんと受け容れてくれたよ。だから、まっとうなやり方ができているなと感じてもらえたんじゃないかな。自分から進んで表に出すことでね。

―劇中では、投票の重要さを訴えることにもかなりの時間が割かれています。選挙にあまり関心を持たない人々にどんなことを伝えたいですか?

バーン:それが僕らに与えられたチャンスであるということかな。選挙というのは、自分たちがどのような形で代表されることになるのか、この国がこの先どんなふうにやっていくのか、どこへ向かい、どんな決断が為されるかといった部分に自ら関わることのできる、実に大きな機会なんだよ。ステージでも言及しているが、大統領選の投票率というのは大体55%かそのくらいだよね。それほどいいわけでは全然ない(編注:本記事の取材後に行われた2020年アメリカ合衆国大統領選挙は、投票率66.7%を記録)。

僕はただこう思うんだ。そんなに大変なことじゃないんだよってね。なるほど投票弾圧なんてものにも苦しめられるし、“ゲリマンダー(選挙区操作)”も依然として存在している。郵便投票の問題も起きている。でもとにかくやってみて、解決へと導かなければならないんだ。僕の両親がこの国にやってきたのは大昔だったんだがね。でも僕はようやく、8年か10年か、大体そのくらい前になって市民権を獲得することができた(※)。その頃までには大体ほかのものは手に入っていた。税金だってまだ払わなくちゃいけないしね、だからそれ以外は手に入れられていたんだよ。でも当時は、自分も投票できるようになりたいものだと思っていたんだ。

※1952年生まれのバーンは、出生地であるスコットランドから両親と共にカナダに移ったあと、8〜9歳の時にアメリカに移住。2012年に米国市民権を取得している。


Illustration by Mark Summers for Rolling Stone

―あなたは数年前のローリングストーン誌による取材で、民主党がトランプ陣営を切り崩せなかった事実に失望を覚えると話していました。トランプのやった一切を目の当たりにして、なお彼を支持する人々がいる事実については、どう折り合いをつけているのでしょう。

バーン:きつい話だね。人々が政治に失望していることは僕もよくわかるよ。今までと同じだ。みんな自分たちは無視されていると考えている。それも理解できる。発言も許されてはいないし、今や彼らの仕事さえ遙か沖まで流されてしまった。海岸にいるエリートとかその手の輩たちからただ見下ろされるだけだ。

実力主義社会(メリトクラシー)という考え方には、こんな内容が含まれている。成功できない者には、たとえば怠惰だったり、まあその手の似たような、でも明らかな原因があるというんだ。自分の失態ゆえの当然の報いだろうということだが、これは決して真理ではない。でも、そういう感覚というのは明らかに形成されつつある。で、一旦そこに囚われてしまうと、次に人々は生け贄を探し始めてしまう。そしてこういうことを確かめたがる。「移民どもか? 中国人か? 俺たちと似ていないやつとはいったい誰だ?」こういうふうになるのも理解はできる。でも同意するということじゃない。何かを理解するということは、必ずしもそれに同意するということではないからね。でも、ある程度までは僕も理解はできる。そして、もっといいやり方があるはずだという気持ちになる。

Translated by Takuya Asakura

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE