高田渡作品をベルウッド・レコード創設者と振り返る、老成した歌は若者にしか歌えない

フィッシング・オン・サンデー / 高田渡

田家:この曲を選ばれたのは?

三浦:はっぴいえんどでレコーディングに行った時にヴァン・ダイク・パークスと知り合って、細野さんと渡さんと行った時にもヴァン・ダイク・パークスがスタジオに来てくれて。細野さんは一回やってるから知り合いで、そこにドラム缶を叩くロバート・グリニッジを連れてきてくれて。出す音がヴァン・ダイク・パークスの作るアルバム、ディスカバーアメリカにすごく類似してましたね。はっぴいえんどの『さよならアメリカさよならニッポン』も彼でしたけど、結局このアレンジもヴァン・ダイク・パークスですよね。そこに一緒に参加しているのが、後にリトル・フィートに参加するフレッド・タケット。そこから矢野顕子さんの76年の「ジャパニーズガール」のレコーディングになっていくんです。僕がアメリカに連れていったのははっぴいえんどと高田渡さんとアッコさんなんですけど、よくサンセットサンドスタジオの連中とか見物に来て、日本のレーベルもすごいんだって言ってましたね。

田家:なるほど。高田渡さんを向こうのミュージシャンはどんな風に聴いていたんでしょうね。この声とか歌は言葉を超えるものもあるんでしょうし。写真集『高田渡の視線の先に-写真擬-1972-1979-』の中には唯一カラーの写真がありまして、それがロサンゼルスの『FISHIN’ ON SUNDAY』レコーディングの写真でした。

三浦:ジェシ・エド・ディヴィスというスワンプロックの象徴的な人の看板があって、その前でずらっと撮っている写真ですね。

田家:高田渡さん、細野晴臣さん、中川イサトさん、三浦光紀さん、元「ヤング・ギター」編集長、山本隆士さんという顔ぶれです。先週は三浦さん自分の写真はないんだと仰ってましたが、あれは貴重なアメリカでのスナップですね。曲が決まっていないのにスタジオだけ決まっていたので、何をやるかその場で決めたと渡さんは書いてましたね。

三浦:「ヘイ・ヘイ・ブルース」なんか、その場で適当に作ったんじゃないかと思って。日本にいるときはちゃんと作詞があったけど、アメリカに行くときはバタバタしていたので向こうで適当に作ったやつもあると思うんです。

田家:なるほど。このロサンゼルスレコーディングが渡さんに及ぼした影響はあるんでしょうか?

三浦:あるのかな? 渡さんは帰ってきてからニューオリンズ・ジャズ・バンドみたいなものを作ったり、底抜けに明るい音楽をやっていたので、その辺はもしかしたら影響があったのかなと思います。

田家:次に三浦さんが選んだのは『FISHIN’ ON SUNDAY』の次のアルバムの曲なので、そういう影響が感じられるんじゃないでしょうか。「バーボン・ストリート・ブルース」。

Rolling Stone Japan 編集部

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