高田渡作品をベルウッド・レコード創設者と振り返る、老成した歌は若者にしか歌えない

田家:高田渡さんの命日に発売になった『高田渡の視線の先に-写真擬-1972-1979-』の中に、『アウト・オブ・マインド』のスタジオの様子が載っているんですが、初々しいですね。

三浦:鈴木茂さんが新しいメンバーを連れてきて、それのバックをやったんですよ。そこから鈴木さんのバンドのハックルバックが生まれたんです。あのメンバーを集めたのは僕と加川良さんなんですけど、そこに林敏明さんとか田中章弘さんもいて。二人とも僕のところに居候していたんですけど、それで茂さんとくっついて。

田家:居候してたんですか?

三浦:そうそう。中学を卒業してすぐ僕のところに来たんじゃなかったかな。まだ子供でしたね。田中くんなんかはっぴいえんどを聴いて、細野さんそっくりになっていって。

田家:そうなんですね。三浦さんは兄貴分ですね。

三浦:兄貴分というか、僕の家に渡さんや奥さんのふみさんも来て、その時にはお腹の中に漣ちゃんもいましたからね。色々な人が出入りしていたんですよ、僕の知らない間に(笑)。

田家:当時風に言うとコミューンのような家だったという。

三浦:そうそう、鍵がなくて自由に出入りできる(笑)。

田家:そういう人がやっていたからこういうレーベルになった、とても分かりやすいエピソードですね。続いて、同じく三浦さんが選ばれた2曲目は1976年の『FISHIN’ ON SUNDAY』から1曲目「ヘイ・ヘイ・ブルース」。

ヘイ・ヘイ・ブルース / 高田渡

田家:『FISHIN’ ON SUNDAY』はロサンゼルスで録音のアルバムでして、曲の中で出てきた山岸くんというのはウエスト・ロード・ブルース・バンドのギタリストの山岸潤史。ロサンゼルス録音に至る伏線がありまして、それが先ほど三浦さんが仰った『風街ろまん』のレコーディングの時に大滝さんと渡さんと楽しそうにアメリカの音楽の話をしていたというところにつながるんですね。

三浦:そうです。アメリカでは16chがくらいの多チャンネルが主流らしいから、一回アメリカに行かないといけないねと話していて、それではっぴいえんどを連れて行ったんですね。

田家:でももともとは大滝さんと高田渡さんと三人で行く予定だったという。

三浦:三人で行こうと思ったんだけど、三人で行っても何も始まらないから(笑)。それではっぴいえんどが行って、でも僕も渡さんのことを気にしていたのでそろそろ一緒に行きましょうか、ということで細野さんを誘って行ったんですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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