高田渡作品をベルウッド・レコード創設者と振り返る、老成した歌は若者にしか歌えない

田家:三浦さんは1975年にベルウッドをお辞めになって、日本フォノグラムに移られるわけですが、今週はその時期のことも含めてお話をお聞きできたらと思っております。アルバムで言うと、1973年にベルウッドでの3枚目のアルバム『石』から、1976年の『FISHIN’ ON SUNDAY』をリリースするまで3年間空いていますね。

三浦:この時期、渡さんははっぴいえんどの『風街ろまん』のレコーディングの時によく遊びに来ていて、大滝詠一さんと僕と渡さんでお茶を飲みながら、アメリカの音楽のことを彼らが喋っていて。二人ともめちゃくちゃ詳しいんですよ、オタク同士のアメリカ音楽の話なんで(笑)。

田家:この話は後ほどゆっくりお伺いしましょう。今日お聴きいただく三浦さんが選ばれた1曲目は、アルバム『FISHIN’ ON SUNDAY』から「初めての我が児に」。

初めての我が児に / 高田渡

田家:作詞が詩人の吉野弘さん。吉野弘さんは、吉田拓郎さんの「祭りのあと」の"日々を慰安が吹き荒れて"というフレーズを作った方でもあります

三浦:僕は吉野さんと田舎が一緒なんです。山形の酒田。

田家:これを渡さんが歌いたいと言ってきた時はいかがでしたか?

三浦:いいと思いました。たぶん自分のお子さんを頭に描きながら歌っているんだと思うんですが、それにしてもすごい歌詞だなと思いました。

田家:1週目と最終週のゲストである御子息の高田漣さんが1973年に誕生しました。ベルウッドから、加川良さんの1974年のアルバム『アウト・オブ・マインド』がリリースされまして、その中に「子守唄をうたえない親父達のために」という曲があった。詞曲は加川良さんが書いていますが、渡さん達4人が一緒に歌っていて、そこに漣さんの泣き声が入っている。あのアルバムも三浦さんですよね?

三浦:そうですね。赤ん坊の漣さんが泣かされたんですよ(笑)。

田家:当時の彼らの、子供が生まれた時の雰囲気はどういうものだったんですか?

三浦:普通に喜ぶんだと思いました(笑)。皆普通じゃない人だったから。

田家:確かに。皆髪の毛が長くてジーパン履いて(笑)。

三浦:それがこんなに親バカになるんだなと思って。

田家:赤ん坊を泣かそうっていうのは誰のアイディアだったんですか?

三浦:加川良さんです、漣さんデビューですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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