ベルウッド・レコード設立者と共に、70年代初期の高田渡を振り返る



三浦:これは渡さんが大好きな曲で、色々な形で歌ってるんですよね。僕は子供の頃からエノケンさんの歌がすごく頭に残っていて、僕の上司の長田さんも歌謡史の研究家だったので。僕がレコード会社に入った頃は、まだステレオが全盛期じゃないんですよ。モノラルがまだある時代。古い歌謡曲はモノラルで残っていたんですが、長田さんが「三浦くん、これ擬似ステレオにしてくれ」って言うんですよ。エコーかけまくるだけなんですけど(笑)。それだったら本人たち呼んでステレオにしましょうよということで、エノケンさんが車椅子でスタジオに来て、この曲をレコーディングしたんです。チーフは長田さんで、僕はアシスタント。それで渡さんがやってるのを聞いたら、エノケンさんと声がそっくりなんですね。エノケンさんの「私の青空」を越えようと思って作った記憶があります。

田家:「私の青空」をやりたいというのは渡さんの方から言ってきた?

三浦:そうです。

田家:自分で録った曲をやりたいと言われた時はどう思われました。

三浦:ぴったりだなと思いました。驚きもしないし、嬉しかったです。

田家:どこに惹かれていたと思います?

三浦:内容がすごく渡さんの好きそうな歌詞だなと思って。家族とか。本人はめちゃくちゃなんですけどね、現実とは違うから。

田家:渡さんが亡くなって棺が運ばれるときにこの曲が流れたそうですね。

三浦:流した人はすごいですよね。 ニューオリーンズで人が亡くなったときに、ブラスバンドで隊列組んで街を練り歩きますよね。それを意識して使ったんですかね。

田家:高田漣さんじゃないんでしょうか。

三浦:たぶんそうだね。

田家:でも渡さんの声って、決して明るくはないですけど、歌い方も含めて湿っぽくないですもんね。

三浦:エッジが効いてるんですよね。

田家:その辺が、小室さんがボーカリストとして評価するポイントかもしれないですね。三浦さんがこのアルバムからもう一曲選ばれております。お聞きください、「当世平和節」。

Rolling Stone Japan 編集部

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